有人で運転再開、シーサイドラインの今後は? サービス改善と全国の鉄道の自動運転を

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運行が再開され、新杉田駅に到着したシーサイドラインの車両=4日午前、横浜市磯子区(写真:時事通信)

6月1日、土曜日の夜に無人の自動運転で逆走事故を起こしたシーサイドラインは、運転士が乗務する手動運転で4日午前11時から運転再開した。

事故後初の平日である3日朝は、10分おきの代行バスが大混雑となり、新杉田駅では最大1000人の待ち行列になった。2013年の調査によると、朝ピーク1時間の新杉田→南部市場の利用者は3994人。これに対し、約80人乗車のバスが1時間に6本しか走らないのでは500人程度しか運べず、大混雑して当然だ。乗るまで1時間以上待ち、乗車してからは30分すし詰めといった人が続出した。

大都市の各地域は、鉄軌道の大きな輸送力があればこそ、街や生活が成り立っている。普段は空気のようにありがたみを感じないが、なくなってみるとその重要さがわかる。

大阪では1カ月半の停止

1993年に大阪のニュートラムの住之江公園駅で到着列車の暴走事故(負傷215人)が起きた際は、運転再開まで1カ月半を要した。さらに、乗務員の添乗が6年以上も続いた。

運休中は、沿線の住民、通勤者、来訪者に多大な不便をもたらし、街の活性化を削いだ。添乗での運転中は、大きなコスト増となり大阪市交通局(当時)の経営を圧迫した。

今回のシーサイドライン沿線の大半は金沢地先埋立事業により人工的に作られた土地で、1988年に完成した。高度経済成長期に住宅・商店・工場が無秩序に混在した横浜の都心部から工場を移転させ、また住宅難に応えて住宅地を用意し、私立大学病院や海浜公園も建設した。シーサイドラインは、新たな街を成り立たせる足として1989年に開業した。

仮にシーサイドラインが長期の運休となっていたら、街の背骨がなくなり、地域が破壊されかねなかった。また、シーサイドラインは、建設の投資負担が重く近年まで債務超過だったほどで、振替・代行輸送に多額の経費を要していたら、再び経営は圧迫されていたはずだ。

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