令和時代、人は「死」を意識しないようになる 「誤診」をなくすことが最大の課題だが…
人類と病気との闘いについて話してきましたが、そもそも、いったいどうなれば、「病気に勝った」ことになるのでしょうか。ほとんどの方は風邪やインフルエンザなどの「治る病気」を思い浮かべ、病気とは治療をすれば治るものだ、とイメージしていると思います。
しかし残念ながら、病気の9割は治りません。医療の立場から言えば、必ずしも病気は治らなくてもかまわないのです。「たいていの病気は治癒しない」し、「治癒する必要はない」というのが医師の感覚です。
ほぼすべてのがん患者は、おそらく風邪などと同じように「がんが完治する」ことを期待していると思いますが、多くのがんは、「治療」はできても「完治」はしません。医者の立場からすると、「今よりも悪くならないようにはできるが、完治するとは言い切れない」と捉えています。
つまり、病気の9割は、医者にとってつねに「病気」というステータスにあります。完全に治癒しなくても日々の生活に支障がなければよい。医療はそこを目指しているのです。
誰もが「多病息災」で生きていく
ある病気と一生つきあうことになったとしても、その病気が牙をむき、身体に不具合を生じさせたり生命を脅かしたりしなければ困るわけではありません。この「ある病気とともに生きる」ことを一病息災といいます。では、一病息災は不死時代にどう発展するのかというと、その姿は、「多病息災」であると思います。
つまり、1つだけではなく、さまざまな病的な状態を持ちつつ、これらがどれも生命を脅かすことなく、生命との間に均衡を保っている状態。どの病気も、宿主である人間を殺してしまうところにまでは到達しないということです。
多病息災時代においては、つねに自らの中にいくつかの病的な状況があることを理解しなくてはいけません。それこそが人間の普通の状態なのだから、何も気に「病む」こともないのです。ただただ自然にそれを受容していればよく、多病がゆえに死ぬことなどないのです。
さて、「不死時代」到来の大きな立役者は、やはりテクノロジーです。テクノロジーによる医療の進化が近年はより本格化しています。
象徴的なのは、ロボットの導入です。例えば、1990年代にアメリカで開発された手術支援ロボットの「ダヴィンチ(da Vinci)」。現時点ではまだAI(人工知能)が搭載されているわけではありませんから、ロボットといっても人間が操作する機械にすぎません。でも、ここにはイノベーションともいうべき、かつてはなかった進化が起こっています。
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