結婚10年「元専業主夫」が33歳で離婚した理由 外で稼ぐ妻との力関係や不貞に悩んだ果てに

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最初は寂しくて、妻が腹立たしくて仕方がなかったが、冷静に考えると、子どもたちにはこれから母親と向き合う時間も必要だと感じるようになった。それからしばらく妻と子どもたちとは連絡が途絶えたものの、東日本大震災の時に、光一さんのことを心配した娘から連絡があり、それ以降、光一さんはいつでも子どもたちに会いたい時に会えるようになった。

現在、光一さんは、東京都内のアパートで独り暮らしをして、映像関係の仕事で生計を立てている。

「今だから言えるんですが、子育て中は本当に辛かったですね。親も近くにいないし、とにかく孤立していたのが一番しんどかった。周りの人間関係が子どもと妻しかいないんです。頼れる人もいない。それでも自分なりに、頑張っていたと思うんです。同世代の男子で専業主夫はいないから、その悩みを誰にも話せない。

大学の友人は、自分とはガラリと立場が変わって、バリバリ活躍している。でも、それも自分が言い出したことだし、いまさら弱音も吐けなかった。自分だけが社会から取り残されていく気がして、どんどん鬱になっていきました。当時は何が辛いかわかっていなかった。家で人並みに仕事もこなして、家事も育児もできる男になれたら、こんな幸せなことないと思っていました。でも、現実的には能力が足りなかったし、ひずみが出ちゃったんですよね」

ゆかりさんとは、多少のすったもんだはあったものの、今では、気の置けない友人のような関係が続いている。

「子どもと一緒に住めないのは辛いですけど、妻とは離婚して良かったと思いますね。中高生の時にもっといろんな人と付き合ったり、俺が外で働いた経験をしなかったりしたのが、結婚生活の敗因だったのかもしれない。初めての彼氏と彼女であまりにも長く一緒にいたから、別れ方もよくわからなかった。さらに子どももできてしまって、仕切り直しができなかった。疲れきっていたけど、疲れていること自体も気づかず突っ走って、お互い拘束しようとしていた。今思うと、完全な共依存だったと思いますね」

七夕が離婚記念日に

不貞の証拠が揃っていることから、光一さんは不倫相手から、慰謝料400万円を取った。そして、お互いが新たな新生活に馴染んだ2013年の七夕の日に、2人は揃って離婚届を提出することにした。織姫と彦星が再開を果たすロマンチックなこの日の役所には、婚姻届を出す初々しいカップルの列ができていた。

役所の守衛は、てっきり婚姻届を提出するカップルだと勘違いして、笑顔で光一さんに「記念写真を撮りましょうか」と声を掛けてきた。しかし、すぐに、用紙の色が違うことに気が付き、不味いという表情になった。しかし、2人は「いや、せっかくだからお願いします」とスマホで写真を撮ってもらった。ゆかりさんも笑いが止まらないようだった。そう、思えば、中学時代にこんな無邪気で天真爛漫なゆかりさんの笑顔に惹かれたのだった。いつしか、慌ただしい結婚生活に追われて、そんな笑顔すらも忘却していた。

2人はこの七夕の日の「離婚記念日」の写真を今でも大切に持っているという。たぶん2人は、離婚という苦渋の決断を経て、ようやく「個」の人間として向き合えるようになったのだ。

菅野 久美子 ノンフィクション作家

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かんの・くみこ / Kumiko Kanno

1982年、宮崎県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒。出版社で編集者を経て、2005年よりフリーライターに。単著に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国』(双葉社)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(KADOKAWA)『母を捨てる』(プレジデント社)など。

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