尾久と越中島、都会「秘境駅」人気上昇の必然 不動産業者が熱視線、その判断材料は何か

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尾久駅前の公衆トイレは、「OKU」をかたどっている(筆者撮影)

このキャッチコピーが果たして売り文句になるのかはさておき、これまで見向きもされなかった尾久駅が脚光を浴びているのは確かだろう。

“職住近接”の地として

都心部から至近にもかかわらず注目されない尾久駅のような存在は、ほかにもある。東京駅から京葉線で2駅しか離れていない越中島駅もそのひとつだ。

豊洲の高層マンション群(写真:ISAMI TOMOHIRO / PIXTA)

越中島駅が立地する東京都江東区は、近年になってニューファミリー層から注目される豊洲駅を抱える。豊洲駅一帯は、湾岸エリアを代表するタワーマンション激戦区でもある。

豊洲駅一帯は、関東大震災で発生した瓦礫(がれき)を処理する目的で、埋立地として造成された。現在のタワーマンションブームが到来するまで、豊洲の昼間人口は多くなく、どちらかというと町工場が並ぶ準工業地帯という趣だった。

豊洲を劇的に変えたのは、2006年に旧石川島播磨重工業の工場跡地が複合商業施設「アーバンドック ららぽーと豊洲」に生まれ変わったことだろう。大規模なショッピングセンターは、それまで郊外にオープンするのが常識だった。その常識を覆した「アーバンドック ららぽーと豊洲」は、たちまち人気のショッピングモールになった。同施設が呼び水となって、豊洲駅界隈の居住者は一気に増加。来街者も増えた。豊洲駅の近隣には同じような工場跡地が広大にあり、それらは大規模タワーマンションを開発する余剰スペースとして不動産会社からもてはやされる。

しかし、タワーマンションが立ち並ぶ以前から江東区の人口が増加する萌芽はあった。それが、鉄道インフラの充実だった。

1988年、営団地下鉄(現・東京メトロ)有楽町線が全線開業。有楽町線が全線開業したことで、豊洲駅から中央区銀座、千代田区丸の内や大手町といったオフィス街に容易にアクセスできるようになった。豊洲駅は“職住近接”の地として、不動産会社からも熱い視線が向けられるようになった。さらに、2000年に都営地下鉄大江戸線が開業。東西線の門前仲町駅や半蔵門線の清澄白河駅は、大江戸線との乗り換えができるようになった。

地下鉄網の充実を追い風に、2000年に約37万人だった江東区の人口は2005年には約42万人、2010年には約46万人、2015年には約49万人と増加。人口減少が加速する日本において、東京都は人口を増加させている勝ち組自治体として知られるが、その中でも特に江東区の人口増は突出している。

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