歌丸さんが愛した「妻と地元」知られざる物語 名人芸をを育んだ「庶民寸法の暮らし」
「喫煙し始めて約20年で発症するため、40歳前後でせきや痰が出る初期の症状が現れます。粘膜の免疫力が低下するため、ウイルス感染しやすくなり、風邪をひきやすくなってしまうんです。
でも症状は風邪と同じですから、病院に行く人は少ない。50代になると息切れの症状が出てきて、やっと“あれ、おかしいな”と思い受診する方が多い。それでも禁煙できずに悪化する方もいます」(木田先生)
つまり2009年の段階で歌丸さんの症状はかなり深刻だった……。実際その後、入退院を繰り返すことになる。
「せきの回数や痰の量が増えて、普通の生活ができなくなるほど息切れが強くなる。これを“増悪”といい、入院を余儀なくされます。
1回の入院治療は約3週間。日常の生活力が急激に落ち、手足がどんどん細くなってしまいます。自宅で生活を続けるには、歌丸さんのように酸素吸入器をつけて生活せざるをえなくなってしまいます」(木田先生)
入院のたびに医者に太れと言われていたが、「食べられないんだからしょうがない」と嘆いていた歌丸さん。
それでも、落語に対する執念はすさまじく、ほかの噺家の追随を許さないほど。歌丸さんが落語に没頭できた背景には、妻・冨士子さんの献身があった。
「落語、やめようかな」に奥さんが…
神奈川県横浜市真金町─。表通りからは車の入れない細い路地の中に、築30年近くの一軒家がある。建坪は約10坪と狭い。人気番組の司会者としては質素な住まいだ。
「町内の別のところからここに引っ越してきて50年くらいは住んでいると思いますよ。30年ほど前に今の3階建てに建て替えたんです。
冨士子夫人の実家がすぐ前。とにかく真金町が大好きで、売れた後もここから出ようとしなかったですね」(近隣住民)
もともと歌丸さんは、真金町で遊郭を営む祖母に育てられた。子どものころから落語の廓噺(遊郭を扱った噺)を地でいく世界で、大人たちの喜怒哀楽を垣間見て成長した。
過去の週刊女性のインタビューでも、「落語の下地はできていたんでしょうね」と答えていたことがある。