強制不妊手術の問題が今なぜ注目されるのか 「優生保護法」子供を産めなくする国策の愚

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1994年にエジプト・カイロで行われた国際人口・開発会議のNGOフォーラムにおいて、DPI女性障害者ネットワークからの参加者が日本の優生保護法と強制不妊手術の問題を発表すると、海外から大きな反響があった。筆者もその場に居合わせたが、政府担当者は優生保護法の問題について理解しておらず、対応に困惑していた。

その翌年に中国・北京で開かれた世界女性会議のNGOフォーラムでは、DPI女性障害者ネットワークなどの女性運動団体が共同で「優生保護法ってなに?」というワークショップを開催し、世界から参加した人々と強制不妊手術についての意見・情報交換をした。

この2つの会議を契機にして、より大きな障害者団体が優生保護法の改正を政府・与党自民党に要請するようになり、1996年には自民党主導で、優生保護法から優生にかかわる条項・文言を削除し、母体保護法に改定された。

ホットラインと声を上げた被害者

優生保護法がなくなっても、それ以前に不妊手術を受けさせられた人々の傷は癒えるわけではない。以下、優生手術に対する謝罪を求める会がまとめた『増補新装版 優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言』を参照しながら見ていく。

1997年に、スウェーデンで障害者への強制不妊手術が1976年まで行われていたことが、日本の新聞でも大きく扱われた。この報道をきっかけに、1997年に「強制不妊手術に対する謝罪を求める会」(現在は「優生手術に対する謝罪を求める会」)が結成された。

メンバーの山本勝美さんによると、会は厚生省(当時)に謝罪と補償を求める要望書を提出し、交渉をもったが、厚生省は「優生保護法の下では優生手術は合法であった」とし、「もし、法に則らず本人の同意をとらない手術があったなら、教えて欲しい」と回答したという。それが、「被害者ホットライン」(1997年11月)の開設につながった。

冒頭に紹介した飯塚さんはこのホットラインに電話をかけてきた一人だった。

「どうして私が強制的に『優生手術』(不妊手術)を受けさせられたのか、それが知りたくて、ここ何年か、私は何度も役所に足を運んで、当時の書類や記録を見せてくれと言ってきました」

しかし、県の優生保護審査会の記録はないと言われて見せてもらえなかった。

1998年には全国各地でホットラインが開設された。そのときに筆者は札幌在住だったので、相談員として参加した。ただ、札幌では当時、強制的な不妊手術に関する相談は寄せられなかった。北海道と宮城県は強制的な不妊手術の実施比率が高かったと指摘されている。広報不足は否めないが、相談するかどうかをためらう状況にあった人も少なくなかっただろう。

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