復元「赤い丸ノ内線」は乗客を乗せて走れるか 教育用に里帰り、営業線走行にはハードルが
「近代車両の幕開けというか、戦後のエポックメイキングな車両」と留岡常務が評する500形は、1954年の丸ノ内線開業と同時に登場した「300形」の後継として1957年から計234両が製造された。300形は、現在の通勤電車では当たり前となった2枚の扉が両側に開く形のドアを国内で初めて本格的に採用し、制御システムもその後の電車の基礎となる技術を数多く採用した車両。500形はその改良版だ。
この車両が若手社員の教育に役立つのは「電車の基本を学べる」点にある。入社時から500形にかかわり、「これ(500形)は私の人生そのものの車両」という中野車両管理所の増澤富士雄技術課長は、この車両の教育的な価値について、現在の車両のような電子部品ではなく、「抵抗器とスイッチの組み合わせでできている制御装置や、バルブと配管だけで造られたブレーキ装置」を調整して動かすことを挙げる。
現在の車両は機器類の電子化が進み、「本当の原理がわからなくても結果的にはメンテナンスができてしまう」(留岡常務)。だが、500形のような昔の車両は、電気の流れを理解していなければ保守や点検ができず、接点を磨くなどの細かい調整も重要になる。「昔の電車は、五感を生かして動作を確認しメンテナンスを行っていた。そういった基本を学んでほしい」と留岡常務は語る。
復元は若手社員の手で
今回、復元に携わったプロジェクトチームのメンバーは、自ら志願した20代~30代の若手社員9人。メンバーの1人である才口翔也さんは、母校の昭和鉄道高等学校(東京都豊島区)に同型の車両が保存されており、「この電車を教材として勉強していたので、教えてもらった分を恩返しできれば」と参加したという。増澤技術課長らベテランの指導を受け、2016年9月から修復作業に取り組んだ。
作業は週に1回のペースで行われ、住宅地に位置する中野車両基地では困難な塗装や大がかりな補修は、車両を新木場車両基地(江東区)に移送して実施。約1年をかけ、現在見られる姿まで修復にこぎつけた。
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