強制労働の現場「松代大本営」を語り継ぐ人々 本土決戦を前に、天皇の御座所を地下に建設

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NPO法人『松代大本営平和祈念館』の事務局長で、ガイドも務める北原さん

北原さんは言う。

「案内するときの3本柱があります。まずは、朝鮮人の強制労働です。加害の側面です」

国家が国民に労働を強いることができる国民徴用令が出されたのは’39年7月。

’44年8月、朝鮮人への適用も閣議決定される。

松代の工事が始まったのは’44年11月。約1万人が従事したが、このうち朝鮮人が7000人。内訳は3000人が「自由渡航」、4000人が「徴用」、いわゆる強制労働とみられている。

工事は、先頭が鑿岩機(さくがんき)を使うが、自由渡航で来た朝鮮人技師が担当、ツルハシを使ったり、砕かれた岩石(ズリ)をモッコやトロッコを使ったりして外に運ぶ。そのなかに徴用の朝鮮人がいた。日本人は、外に近いほうで手伝ったとみられている。

「続いて、協力させられた地元の苦しみです。工事が始まると、家を撤去させられました」

と北原さん。地域では養蚕業が主産業。仕事ができなくなると死活問題になるが、抵抗できなかった。

「3つ目は沖縄戦との関連です。松代を含む本土決戦の準備がありました。沖縄の犠牲と松代大本営は表裏一体です」(北原さん)

戦争を始めるとどうなるのかを知ってほしい

証言者の掘り起こしも続けている。今年5月、旧制中学在学中に地下壕の掘削工事をした男性(87)の証言を聞いた。

男性は中学2、3年のころは木曽の発電所建設工事に動員され、4年生の5月から舞鶴山地下壕の掘削工事で、ズリを外に運搬するのを手伝った。「何を、何のために作っているのかは知らなかった」と語った。

こうした語り継ぎの活動は口コミで全国に広がり、修学旅行先としても選ばれている。今年5月だけで3926人、6月は2754人を案内した。上半期だけで9000人を超えた。

「(戦争遺跡の)地下壕に入れるところが減っているなか、市が保存し、無料で公開しているのはここだけ。朝鮮人の強制労働を見れば加害。本土決戦前の沖縄を見れば被害。人々が傷つけ合ったり、殺し合ったりするのは嫌です」

そう話す北原さん自身、朗読劇『女たちのマツシロ』の台本を書いている。

「沖縄の情勢も変わるので、多少、内容を変えながら、20年間続けています。戦争を始めるとどうなるのかを知ってほしい」

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