甲子園で秀岳館に見た「嫌われる勇気」の成果 「結果を出すための覚悟」を貫いた鍛治舎監督

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鍛治舎はこの大会を最後に退くが、監督在任の3年5カ月で熊本の野球にイノベーションを起こしたという自負もある。

熊本の高校野球界に「一石を投じた」

「一石を投じることができたと思います。県大会を見ても、140キロを超すピッチャーがたくさんいます。熊本の野球もレベルアップしました。そういう部分で貢献できたかなと思います。他校は、秀岳館に勝たないと甲子園に行けないし、秀岳館に勝てば甲子園でもいいところまで行けると思っているでしょう。選手も、監督もそんな目線に変わりました」

秀岳館の監督からは退くが、高校野球への情熱を失ってはいない。「今後のことは、何も決まっていません。試合が終わって、校歌を聞いて、白い雲を見上げて……甲子園はまた帰ってきたい場所です。もちろん、簡単に戻れるところではありませんが。秀岳館の監督としては終わりましたけど、あとはまったくの白紙です」。

後任に監督の座を譲ることになるが、「不安はない」と鍛治舎は言い切る。「縁あって、監督をやらせていただいて、4回も甲子園に出られて、今日の試合は残念でしたが、みんなが頑張っただけの成果はありました。頑張れば結果はついてくるんだなと思いました」。

新しいスタートを切る選手たちには、こんな言葉を送る。

「練習は日常生活にあり、とずっと言ってきました。3年間、午後2時から8時間の全体練習をやり続けましたが、それ以外の16時間をどうやって過ごすのか、ということです。そして野球のフェアグラウンドは90度の角度で広がっていますが、その他の270度の空間で何をするのか。それを突き詰めてほしい」

解説者として活躍した鍛治舎らしいユニークな言葉だと思う。鍛治舎が去っても、強い秀岳館が続くのか。「日本一」という高い目標は、新たな監督とチームに引き継がれる。

(文中敬称略)

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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