キリスト教会爆破したイスラム過激派の論理 IS「処女地」で起きたエジプトでの自爆テロ
彼らはイスラム原理主義の旗を掲げ、エジプトを事実上の植民地としていたイギリスと、その傀儡(かいらい)になっていたムハンマド・アリー王朝を打倒する目標を掲げていた。ただ、その手段はテロ本位ではなく、宗教教育、医療、社会福祉活動、スポーツ施設の運営など、民衆の支持を集めることに頼る。1953年、エジプト軍青年将校団による王制打倒革命に、ムスリム同胞団も呼応しており、目標は実現したかに見えた。ただ、エジプト革命の成果は軍隊に横取りされ、再び弾圧される立場になる。
サダト大統領時代(1970~1971年)に一時、ムスリム同胞団が復権するが、長続きせず、2011年のアラブの春まで雌伏を余儀なくされる。が、その間も、民衆の草の根ネットワークは拡大。念願かない、2012年にムスリム同胞団系のムルシー政権が発足するが、失業やインフレの問題を解決できないことから、民衆や青年の不満がたまって支持が低下した。機会をうかがっていた軍部は2013年、自由で民主的な選挙で選ばれたはずのムルシー政権をクーデターで打倒。再びムスリム同胞団は冬の時代を迎えた。
エジプトに詳しい鈴木恵美・早稲田大学准教授は、ムスリム同胞団の体質について、「とても辛抱強い組織。目標を達成するためには100~200年かかってもよい、と時間軸を長く考える」という(「アラブの春」当時の取材による)。派手なテロと宣伝を武器に瞬発力を生かしてインターナショナルに出没するIS・アルカイダ系と、地元密着や社会運動重視でコツコツ型のムスリム同胞団とは、本来向いている方向と体質が違うはずだ。
黒い旗を掲げ自称すればISと認められる
ところがそうともいえない情勢が生まれている。エジプトでは2013年の軍クーデター以降、ムスリム同胞団のグループが首都カイロから政府の監視が手薄なシナイ半島へと避難している。シナイ半島の東側にはイスラエルという壁があり、サウジアラビアとの間には紅海がある。
封じ込められたムスリム同胞団の一部から、シリアやイラクで派手に活動し世界の視線を集めるISをみて、「自由で民主的な選挙で選ばれた政権がクーデターで打倒された。従来の路線には限界がある」と考えるグループが生まれたとしても、おかしくない。何しろISは黒い旗を掲げ、ISを自称すれば、簡単にISと認証されるのだ。
コプト教会の自爆テロ前にも、「ISシナイ支部」を名乗るグループのテロ事件は何件か発生している。アラビア語による犯行声明を聞いたエジプトに詳しい識者は、「完全なエジプト人のアラビア語であり、シリアやイラクのアラビア語と違う」と指摘する。
実は今回のテロ事件について、ISに転向したムスリム同胞団の一部も関与していたとすれば、シーシ政権にとって好都合なのだ。草の根ネットワークで社会活動をしてきたムスリム同胞団に対し、テロリストのレッテルを貼ることができれば、国内からの「同じエジプト人を殺すのか」という批判や国際社会からの監視の目をかわすことができる。その意味でシーシ政権の素早い非常事態宣言からはやる気がうかがえる。
一方、「ISシナイ支部」を名乗るグループにとっても、好都合である。
まず、エジプトに存在する多数派のイスラム教徒とキリスト教徒の間にある、微妙な亀裂を拡大できる。キリスト教徒に対するテロを起こせば、シーシ政権がWSJの社説のように、国際社会から非難される。またエジプト最大の産業は観光業だ。「エジプトは危険」というイメージを増幅することで、経済的な打撃を効果的に与えることができる。さらには、ムスリム同胞団主流派の「穏健なイスラム原理主義」「草の根ネットワーク運動」の限界を見せつけることで、ISへの転向者を集めることも容易になる。
エジプト政府には、シナイ半島を完全な安全地帯にする能力はないとみられることから、「ISシナイ支部」を根絶することは困難だろう。とすれば、エジプトでのテロは今後も間欠的に続く。
エジプトは、シリアやイラク、リビア、サウジアラビアと違い、アラブ世界の中心にいる国。IS”処女地”といってもよい国だった。シリアやイラクでIS勢力の後退が進んでいる時期、エジプトでIS”感染症”が広がれば、国際社会に与える影響は甚大だ。
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