甲子園で「応援に回る」球児が五輪で輝く未来 野球部から「タレント発掘」身体能力に期待大
そして、タレント発掘において最も重要なのは、せっかく「発掘」した選手を「育成」する環境があることである。当たり前のことだが、どれだけ素質に優れた選手を発掘しても、毎日、質の高いトレーニングを継続しなければ、トップレベルには届かない。
「発掘」は、1つのきっかけであり、それだけではスタートラインに立ったに過ぎない。発掘と育成は一体として考えるべきであり、発掘した選手をスムーズに充実した育成環境へとつないでいくことが不可欠になる。
ターゲットにするのは競技人口の少ない競技だと述べたが、こうした競技は部活動やクラブ、指導者の数も少なく、発掘した選手の生活圏に整った育成環境があるとは限らない。
ボートのように、練習場所も水辺に限られる競技ではなおさらだ。いかに資質や情熱を兼ね備えていたとしても、練習場が遠すぎて、週末しか実践的な練習ができないとなると、トップレベルにたどり着くのは難しいだろう。
「タレント発掘」の何が難しいか
東京都の事業にかかわってきた私の実感として、タレント発掘は、適切な「ターゲット設定」によって、これぞという人材を見つけて、適性が高い競技に振り向けることができれば「思ったよりうまくいく」。だが、「充実した育成環境」への接続は「思ったより難しい」というところだ。競技人口の少ない競技ゆえの困難さが、ある程度ついてまわるのは避けがたい。
ただ、「ターゲット設定」と「充実した育成環境」の双方がうまくそろい、かみ合ったときには、目を見張るような成果が出る。
東京都のタレント発掘にかかわりながら、中学生の時にサッカー部で試合に出られなかった選手が、新たな競技を始めてわずか数年でインターハイで3位に入り、さらに競技にのめり込んで成長していく姿などを見てきた。子供の適性を見極め、選択肢や可能性を広げることは、本当にすばらしいことである。
意義はそれだけにとどまらない。
少子化がますます進むこれからの時代、あらゆる競技において、競技人口の減少は避けられない。そんななか、一部のメジャー競技に人口が集中することは、多様な競技を振興するという観点からは好ましいことではない。
あまりに競技人口が少なくなれば、競技そのものが成り立たなくなるからだ。身近にできる競技が少なくなれば、やがては健康志向など人々の多様なニーズに応えられなくなるだろう。
タレント発掘は、多様な競技の振興という観点からも価値ある取り組みなのである。
最後に、個人的な思いとして、これだけは言っておきたい。
試合に出られないにもかかわらず、野球が好きで、青春の大半を野球に捧げた甲子園アルプススタンドの高校球児の選択は、それはそれで、実にすばらしいものだ。
スポーツは、プロになることやオリンピックのメダルがすべてではない。
勝ち負けがはっきりする競争の中で、勝利を目指してベストを尽くし、1つのことを極めようとする、そのプロセスにこそ価値があり、そのプロセスにおいて人は多くのことを学び、成長することができる。
だから、スポーツと真摯に向き合った若者には、たとえトップになれなくても、スポーツでの学びを糧に、セカンドキャリアにおいて様々な世界で活躍してほしい。1つのセカンドキャリアの例として、私の勤務する三菱総合研究所にも、プロサッカー選手を経て入社した社員が在籍していたこともある(現在は退職。参考記事に「引退したアスリートは、その後何ができるか」)。
「タレント発掘」は、選択肢と可能性を広げるための取り組みだ。自分に向いている競技で能力を最大限に発揮したい、そんな子供たちや若手アスリートの視野を広げ、新たな選択肢と可能性を提示するのである。子供や若者が、自分の可能性を見つけ、そして、トップレベルにチャレンジするチャンスを得る。それが、タレント発掘の本質なのだと思う。
トップアスリートを育てるためのタレント発掘は、さまざまな広がりをもつものだと、多くの人に認識してほしい。決して「効率的にメダルを取る」ためだけの取り組みに終わってはならないのである。
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