奨学金「貧困問題」、最大の責任者は誰なのか 返せない人は一部の大学に集中している

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――教育効果が高くない場所に奨学金を使って学生を送り込んでも、うまくいくはずがない。日本学生支援機構は大学の教育内容の改善に、もっと圧力をかけるべき立場なのでは。

大学教育を幻想にしないためには、どうするんだってことですよね? まずお伝えしたいのは、私が理事長になってから、だいぶ大学への圧力は強まっているということです。

奨学金の貸与にふさわしい教育サービスを提供することを、大学に要請していくこともわれわれの行うべきことだということは理解しています。ただ、なかなか難しい面もある。大学が学生に施した教育内容を確認し、その評価まで行い、そして判定を行うとなると、膨大な事務が必要になる。

現在はまだ、貸与を受けた学生が本当に授業に出ているかどうかを、大学に協力してもらって調査をしたり、延滞率の公表によって大学にも自覚をしてもらうという、プリミティブな段階です。

――無審査で貸与されることが前提ですから、借りるほうも、学費として受け取る側も、なかなかシビアに考えられないという現実もあるのかもしれないですね。

金融の格言に、「貸すも親切、貸さぬも親切」という言葉があります。カネが必要だという人にカネを貸さないのは、一見意地悪に見えるけど、状況によっては本人のためになる場合もある。それがあるから「借りる時のえびす顔、返す時のえんま顔」。どういう意味かわかりますか?

奨学金は「返す時のえんま顔」だけが残った

――おカネを借りる人は、借りるときにはにこにこして喜んでいたのに、返すときには渋い顔をするという意味ですね。

そう。本来の金融の考え方からすれば、奨学金も学力試験をやったうえで、ようやく借りられる、という形もありうる。そうすれば本人も、「よかったなあ。なんとか、親に迷惑をかけないで大学の授業料を払える。卒業した後きちんと返せるように、頑張って勉強しよう」となるかもしれない。

しかし、日本学生支援機構は、無審査で貸しますから、「貸さぬ親切」というものがない。だから、学生が貸与を受けても「借りる時のえびす顔」がなくなってしまうのですよね。「貸すも親切」と「返す時のえんま顔」、この2つだけが残ってしまうというのが奨学金なのです。

――教育は人格形成の基礎になるもので、金銭的リターンを目指す事業投資とは根本的に違いますから、「貸さぬ親切」というわけにはいかないですよね。

奨学金は教育ローンだって言われるけど、われわれ金融人からすれば、奨学金がローンなんていうことは絶対にあり得ない。無担保で、稼ぎゼロの、学生本人に貸すのですから。貸し手は親じゃないんですよ。ただ、奨学金の場合は、ほとんどの人が「ありがとうございました」と言って真面目に返してくるのです。

理事長になってもっとも驚いたことなのですが、返済を完了すると、「育英会、学生支援機構のおかげで社会人として自立できました」といって寄付金をくださる人がいる。これが年間いくらあると思いますか。なんと1億円もいただいているのです。これは1人5000円だったり、1万円だったりですが、小口の寄付が本当にたくさん送られてくる。

奨学金を返済してもらうときは、「返す時のえんま顔」だけじゃないんだ、ということです。こういう人達がいるんだから、私もどういう悪口を言われても、頑張っていかなければならないと思っているんですよ。

関田 真也 東洋経済オンライン編集部

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せきた しんや / Shinya Sekita

慶應義塾大学法学部法律学科卒、一橋大学法科大学院修了。2015年より東洋経済オンライン編集部。2018年弁護士登録(東京弁護士会)

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