ブラック校則は日本のお家芸!? 明治から続く"子どもを「管理」してナンボ"の発想で◯◯まで指定…驚くべき校則の歴史

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「教師の定むる所の法は一切論ずべからず」との規定もあるように、「教師の言うことは絶対」との価値観が色濃く反映されたものであった。

姿勢の指定が「写真撮影か」と思うくらい細かすぎる

江戸時代の庶民の教育機関である寺子屋は「完全個別学習」であり「自学自習」が原則であった。

ところが明治時代になり「学制」が実施されると、一斉指導となる。多くの知識を多数の児童に、能率的に教えることが教師に要求されたのだ。

よって、教師の監視と号令による集団一斉行動が前提となった授業が展開されることになる。教室での教師の座る位置はやや高くし、児童がよく見えるのがよしとされた。

教師の号令に一斉に従うという「規律訓練」が児童に求められたがゆえに、現代から見ると厳し過ぎるルールが誕生したと思われる。

大正期に入ると「児童中心主義」の教育思想が登場してくるものの、校則に関しては大きな変化はなかった。大正期のある小学校では、児童の腰掛け姿勢までが「児童管理細則」において定められていた。

例えば「胸を張り頭を起し、顎を引き下腹に力を入れて上体を真直にし、口を閉じ腰を深くかけ、足を床上に揃へ、両手を膝の上に置き、又は軽く組み眼は前方を正視すべし」とある。

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