ブラック校則は日本のお家芸!? 明治から続く"子どもを「管理」してナンボ"の発想で◯◯まで指定…驚くべき校則の歴史

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そもそも校則とはいつ頃、現れたのか。ブラック校則をなくしていくにはどうすればいいのだろうか。歴史を振り返りつつ、校則の問題について考えてみたい。

明治の校則は「早起きと父母への挨拶」まで言及

江戸時代の寺子屋にも掟があった。例えば正座して畳に手をついて額を下げる。その後、心静かに一礼して来た順に着席、といったものだ。校則の原型と言われるものは明治時代初期に登場した。

それが明治6(1873)年、文部省が出した「小学生徒心得」(全17条)である。そこには、

「毎朝、早起きして顔と手を洗い、口をすすぎ、髪を整え、父母に挨拶する。朝食後に学校に行く用意をする」

「毎日、登校は授業開始の10分前までに」

「席につく時には教師に礼をする」

「授業中は雑談してはいけない」

「教師の許しなく、みだりに教室に入ってはいけない」

「遅刻した時は事情を述べて教師の指図に従うこと」

「出入りの時の障子・襖の開け閉めは静かにすること」などが定められていた。

次ページ姿勢の指定が「写真撮影か」と思うくらい細かすぎる
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