「合法的に殺されるな」と思ったよ…藤原喜明が30年前の【クマとの試合】で"死を覚悟"した瞬間

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あの時は俺、『合法的に殺されるな』って思ったもんな。でも、ここで断ったら『逃げた』って言われるだろうからさ。『藤原はバラエティ番組でクマが怖くて逃げた』って一生言われるくらいなら、ここで死んだほうがマシだなって思ってやったんだよ」

幻に終わったクマとの「リターンマッチ」

こうして、ケージに囲まれた山の中でクマと対戦。迷彩服を身にまとった藤原は、距離を取りながら低い姿勢で構えるが、クマは一気に突進。藤原はちょっとした交通事故のように吹っ飛ばされる。

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これが何度か繰り返されたあと、これ以上は危険とみなした番組関係者が撮影を中止。クマとの闘いはようやく終わった。

「俺がやったのは小型のクマだったけど、あれぐらいのヤツがいちばん動きも速くておっかない。俺なんか突進されて吹っ飛ばされて終わりだよ。当たりどころが悪かったら死んでただろうな。

なんかその映像が、いまだにネットに上がってるらしくて、ツイッター(現・X)か何かに『藤原は小熊にも勝てなかった』とか書いてたヤツがいたみたいだけど、あれは絶対に小熊なんかじゃなかったよ。当たりめえだろって!」

実は、この藤原vsクマには後日談がある。今ならバラエティ番組として絶対にアウトなこの企画だが、当時、怖いものなしだったテリー伊藤は、今度は藤原組のリングで、藤原vsクマのリターンマッチを計画したのだ。

その舞台は、なんと千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリンスタジアム)。特番で話が進んでいたが、結局は企画自体がお蔵入りとなった。

「日本でもう一度やるって決まったあと、準備を進めている途中で動物愛護団体からクレームが来てな。それで中止になったんだ。

『クマをいじめちゃいけません』っていう抗議だったんだけど、馬鹿野郎、俺のほうが殺されかけてるんだよ!って(笑)。

クマの心配だけして、人間の心配はしないんだからな。俺もなんとか死なずにすんだけど、クマとの闘いは、どんなプロレスラーとのケンカマッチより怖い。これだけは間違いないよ!(笑)」

取材・文/堀江ガンツ

藤原 喜明 プロレスラー

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ふじわら よしあき / Yoshiaki Fujiwara

1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“ 関節技の鬼”と呼ばれる。84年、試合前の長州力を花道で襲撃し“テロリスト”としてブレイク。同年7月に第一次UWFに移籍し、スーパー・タイガー(佐山聡)、前田日明、高田伸彦(当時)らとUWFスタイルのプロレスをつくり上げる。その後、新生UWFを経て、91年に藤原組を設立。2007年に胃がんの手術をするも無事生還し、今も現役で活躍中。

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