「合法的に殺されるな」と思ったよ…藤原喜明が30年前の【クマとの試合】で"死を覚悟"した瞬間

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「ケンカの始まりは、実にくだらないことだよ。プライドを傷つけられたとかな。

昭和の新日本プロレスというのは、先輩後輩の序列が一応決まっているから、たった1日だろうと先輩のことは『さん』づけで呼ぶし、何か言われたら『はい』と答える。ただ、そこには限界があるし、許せることと許せないことがある。そういう時はケンカにもなるさ。

ただ、お客さんの前での試合より、そういうのは道場での練習でやることのほうが多い。道場のスパーリングで痛めつければいいわけだし、それでもわからないようだったら、プロレスが一生できないようにすることも可能なわけだ。だから力が大事だっていうことだよ。

プロレスラーは自分の身は自分で守ることが基本。他に誰も守ってなんかくれねえよ。

国と国だってそうだろ。日本をアメリカが守ってくれると思ったら大間違い。なんで日本を守るためにアメリカの兵隊が血を流さなきゃいけないんだい? プロレスの世界だって同じなんだよ」

猪木も黙認したキラー・カーンとの「ケンカマッチ」

では、黎明期の新日本でたびたび起こっていたケンカマッチとは、どのようなものだったのか。

「そんな大ごとになるようなことは少ないけど、お互い感情的になるようなケンカはよくあったよ。ケンカが始まると、他のレスラーたちも面白がるんだ。『おっ、始まったな』『おい、どっちのほうが強い?』とかな。

俺とキラー・カーンがリングでケンカした時もそうだった。向こうがマディソン・スクエア・ガーデンから帰ってきて、ちょっと天狗になってたんだよな。それで正々堂々とケンカしたんだよ。

あの時、猪木さんは控室で若手にマッサージをしてもらってたらしいんだけど、星野勘太郎さんが『藤原と小澤(正志。カーンの本名)が始まりましたよ』って報告したら、べつに怒るでもなく止めるでもなく、『おう、そうか。どっちが強い?』って言ったらしいからな(笑)。

ある意味で、猪木さん公認とは言わないけど、黙認のケンカだったよ」

次ページ1983年3月23日、山口県立体育館での出来事
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