実は現場で読まれていない「学習指導要領」…最強メンバーによる《学校の自律性拡大目指す改訂》の議論を元文科省キャリア官僚が評価する訳
そのうえで学習指導要領について言えば、何より必要なのは現場に「読まれる」ことです。そうでなければ、どんなに内容に創意工夫を凝らしたとしても、何の意味もありません。
僕がとにかく望むのは「シンプルさ」です。目標・内容の構造化や学習内容の精選、教科書の分量の精選にはぜひ取り組んでいただきたいですが、仮にそれが進んだとしても、学習指導要領が複雑なまま、もしくはいっそう複雑になるのでは、現場との「距離」は縮まりません。そもそも一般的に、中央教育審議会での専門的な議論を経れば経るほど、内容は膨大かつ複雑になります。
各教科等のワーキンググループ(WG)も傍聴していますが、WGの議論になると、どうしても個人の経験や視点、利害関係などに基づく意見が多くなります。それらはそれらで1つの「事実」ですから、文科省としても否定することは難しく、結果、内容は膨れ上がっていく。また、そうした意見を単に並べたのでは、「パッチワーク」的になり、一貫性あるものにはなりません。
学校は難解な理論から遠い世界で回っている
そしてここが(悪い意味で)文科省の「腕の見せ所」なのですが、複雑な理論や理屈を駆使し、それらをあたかも整合的であるかのように「仕立て上げて」しまうのです。しかしこれでは、それがどんなに「よくできた」ものであっても、教師には届きません。
ですから、文科省としては、複雑にすることは簡単ですが、シンプルにすることはとても難しい。でも、学校現場に近い、基礎自治体の教育委員会に在籍する者として、日々学校を訪問していて思うのです。(国の指定校ならまだしも、普通の)学校というのは、文科省や中教審の委員が思っているよりも遥かに理論や理屈から遠い世界で回っている、と。
より突っ込んで、現在の議論の方向性に関し1つ具体的なことを言うのなら、「見方・考え方」は、「目標」の柱書等と分けずに統合し、そして柱書自体も可能な限りシンプルなものにしていただきたいです。やはり目指すべき「北極星」は、少なければ少ないほうがいい。
「目標」「見方・考え方」「高次の資質・能力(『知識及び技能の統合的な理解』と『思考力・判断力・表現力等の総合的な発揮』)」、そして「主体的・対話的で深い学び」と、目指すべきものが立ち並ぶ中、学校はどこに向かえばいいのか、最初の1歩が踏み出しやすい学習指導要領となることを強く期待しています。


















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