「子どもいらない」夫と「名字を譲れない」妻が選んだ結婚の形、高学歴で"恋愛不慣れ"だった44歳女性が相手に求めた<唯一の条件>とは

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さらに言うと、「パートナーは欲しいけれど、婚活はしたくない」という人はその理由を自分に問うてみてほしい。周囲に紹介やサポートをお願いすることすら恥だと感じているとしたら間違いだ。誰にだって得意不得意はある。例えば、車の運転が苦手なのに無理に運転をする人は少ない。得意な人に教えてもらうだろう。ちなみに筆者は運転を諦めてタクシーやバスを利用している。

結婚はする前よりも“した後”のほうが長い

妙子さんの話に戻ろう。出会って半年後には婚約をして輝明さんと同居を始めたが、当初は事実婚の形を取っていた。

「お互いに名字を譲れなかったからです。私は妹たちが先に嫁いで名字が変わっているので、残したいなと思っていました。親から望まれたわけではなく、私自身の気持ちです。夫にはお兄さんがいるので、彼の名字は残ります。事実婚でも私の職場は結婚だと認めてくれて、お祝い金をいただきました」

2度留学するほどの強い意志がある妙子さん。子どもが欲しいという望みも貫き、不妊外来に通って体の状態を診断しているうちに自然妊娠に成功した。

「子どもができたので婚姻届を出すことにし、夫が私の姓になってくれました。予定よりも早く破水してしまったので、職場の病院で産ませてもらうことに。婚姻届は夫一人で提出してもらいました」

妙子さんは育児休暇を取った後に時短勤務で働き続けている。新居については輝明さんと話し合い、お互いの職場の中間地点ではなく妙子さんの職場近くを選んだ。その代わり、保育園の送り迎えから平日の家事育児の全般は妙子さんが担当している。

「夫婦げんかはよくします(笑)。娘がイヤイヤ期のときはしょっちゅうでした。私が『毎日、大変!』と愚痴をこぼすと、夫が『自分ばっかり大変だと思うなよ』と応戦してくるので……」

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ただし、お互いにDVに至るようなことはせず、けんかという憂さ晴らしをしながら現在に至っている。「気持ちが安定していてコミュニケーションが取れること」をほとんど唯一の条件にして結婚相手を探して正解だったのだ。

インタビュー後、友だち感覚でいろいろ話せる妙子さんを誘って、大阪駅構内のカフェでしばらく雑談を楽しんだ。妙子さんがお見合いで多用していたという店で、この日も初対面らしいたくさんの男女がテーブル越しに向かい合っていた。

「このお店に来るのも本当に久しぶりです。結婚して子どもを産んで、あっという間の怒涛の5年間でした」

ちょっと疲れたような、だけど何かを成し遂げたような清々しい表情を浮かべる妙子さん。今後も慌ただしくも幸せな生活が続くことを想像しながら、「結婚はする前よりもした後のほうが長い」というカウンセラーの言葉を噛み締めているのかもしれない。

本連載に登場してくださる、ご夫婦のうちどちらかが35歳以上で結婚した「晩婚さん」を募集しております(ご結婚5年目ぐらいまで)。事実婚や同性婚の方も歓迎いたします。お申し込みはこちらのフォームよりお願いします。
大宮 冬洋 ライター

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おおみや とうよう / Toyo Omiya

1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリングに入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。著書に『30代未婚男』(共著、NHK出版)、『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ともに、ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方』 (講談社+α新書)など。

読者の方々との交流イベント「スナック大宮」を東京や愛知で毎月開催。http://omiyatoyo.com/

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