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撤退寸前から6カ月で完成!安川電機が日本初、電気で動く元祖産業用ロボットを生み出せた理由

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日本初の全電気式産業用ロボット「モートマン L-10」を開発した鈴木健生氏(記者撮影)
会社を動かすのは現場のビジネスパーソンだ。人気商品やサービスが生まれた背景、新たな挑戦の狙いとは。本連載では、その仕掛け人を直撃する。 

1977年2月23日、午前7時。NHKの朝のニュースに、真紅をまとったロボットが映し出された。この日、日本初となる全電気式産業用ロボット「MOTOMAN L-10(モートマン エルテン)」がついに世にデビューを飾った。

その横で緊張した面持ちで操作盤を手にしていたのが、当時入社7年目の若き技術者、鈴木健生氏だ。がっちりとした体格から「クマさん」のあだ名で呼ばれ、このモートマン エルテンの開発を主導してきた人物だ。

エルテンの誕生は、後に日本を「ロボット大国」へと押し上げ、安川電機を世界的なメーカーへと成長させる原点となる。安川電機の産業用ロボット「モートマン」シリーズの累計出荷台数は60万台を突破し、世界中の工場で稼働している。

油圧式が主流の時代に、あえて電動式で勝負

1970年代初頭、安川電機は鉄鋼やインフラ向けの電動機(モーター)が主力だった。工作機械向けの自動化装置も扱っていたが、より汎用的に使えるロボットの可能性が議論され始めていた。

アメリカではすでに油圧式ロボットが登場しており、日本でも輸入や技術提携が始まりつつあった。ただ、油圧式ロボットは高出力が得られる反面、制御が難しく、メンテナンスも煩雑だった。多くの企業が油圧式で開発を進めるなか、安川電機は得意とする電動式で勝負する道を選んだ。

だが、当時のモーターや電子部品はまだ発展途上で、電動式で十分なパワーを生み出すことは容易ではない。1974年に初代「モートマン」を発表するものの、なかなか受注に結びつかない。さらにオイルショックが追い打ちをかけ、株価は50円を割り込む水準にまで下落。経営難で「ロボット開発は無駄遣い」と批判すら浴びるほどだった。

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