鈴木氏に声がかかったのは、ちょうどその頃だ。入社わずか2年目で、モーター製品でヒットを生み出し、若くしてその才能を発揮していた鈴木氏は、十数人規模の開発チームに最年少で抜てきされた。
「失敗すれば撤退」覚悟のプロジェクト
当初、チームは30kg可搬ロボットの設計を進めていたが、コストと使い勝手が折り合わず、1976年6月、ついに開発中止に追い込まれた。
だが、そのわずか1カ月後、上司から鈴木氏に思いもよらぬ言葉がかけられた。
「鈴木にモートマンを任せる。これで失敗したら、安川はロボット事業から撤退する」
ロボットの知識はほぼなかった鈴木氏は突然の大役に戸惑いながらも、「1週間時間をください」と申し出た。そして、導き出した答えは、「30kgもの可搬能力は本当に必要なのか。10kgで十分ではないか」という発想の転換だった。仕様を絞ることで構造はシンプルになると判断し、10kgに切り替えて開発は再スタートした。
資金難のなかで進められた開発は、まさに知恵と工夫の連続だった。工場に眠るモーターフレームや廃材をかき集め、既製部品を徹底活用。寝る間も惜しみ作業に没頭し、わずか半年という短期間で完成にこぎつけた。

「何日も寝ずに作業した。今では考えられない働き方だ」と鈴木氏は振り返る。「クマさん」というあだ名は、頑丈な体と底なしの体力への信頼からついたものだった。
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