エリート街道の兄と学歴なしの弟…2人の運命が「音楽」を通して動き出す!《セザール賞・主要7部門ノミネート》のフランス映画の凄さ
そこで「音楽と吹奏楽団が社会的、感情的な結びつきとして重要であることに気付いた。それは家族であり、人生であると同時に、孤立や物質化された世界に対する救済策なのではないか」という思いに至る。
そこでこの人たちがもっと恵まれた環境に生まれていたら、どういう運命をたどるだろうかと考えたクールコル監督は、そこで世界的な指揮者が吹奏楽団の弟の存在を知る、という本作の礎となるアイデアを思いつく。
ちなみに劇中でジミーのセリフにもあるが、フランス北部の人たちにとっては「ファンファーレか、サッカーか」というほどに、「ファンファーレ」と呼ばれるブラスバンドが人気を集めている。
歴史的には19世紀ごろに、鉱山労働者が集い、親睦を深める場として広がったもの。そして工業化された後もその文化は町の人々の間に残った。
本作に出演する楽団員の一部は、閉鎖の危機に直面している工場で働いているが、そうした社会背景も、本作を紐解く上で大事な要素となっている。

分断の時代でクールコル監督が思うこと
本作はコメディでもあり、人間ドラマであり、音楽映画でもあり、社会派ドラマでもある。さまざまな側面で語ることのできる本作についてクールコル監督は、「わたしが何よりも好きなのは、相反するものを調和させ、妥協点あるいはバランスを見つけることで、それは人生でも同じこと」と語る。
映画を鑑賞したクールコル監督のもとには、いろいろな人たちが「映画に映っていたのは自分自身だ」と話しかけてきた。劇中のさまざまな立場の人々に自分を重ね合わせ、「自分は孤独ではない」と再確認していたのだという。それは分断が進む現代社会において特筆すべきことだ。
海外メディアのインタビューでクールコル監督は「映画にはまだすべてが失われていないこと、世界にはまだ美しさと人間性があることを伝えている。映画を観た後に、人々が良い気分で帰れることが自分の唯一の願いだ」と語っている。そして「暗い映画をつくる監督はたくさんいるが、自分がそこに加わらなくていい」とも。
その一方でお菓子のように甘すぎる“フィール・グッド・ムービー”にはせずに、厳しい現実にもしっかりと向き合う、とも語っている。
「もしこれがわたしの望むように、心の琴線に触れる映画となるのなら、それは自分たちの姿を投影できるキャラクターたちの人間性と感情が引き起こすものであるべきだ。過酷な人生を送っている人の寛大な行動、大きなスーツケースを背負って自分の居場所をつくろうとする人々を見ること。それが良い作品をつくり出すのです」とクールコル監督。
その言葉通り、クライマックスで描かれる、音楽がもたらす一筋の希望が深い感動を呼び起こす。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら