戦時教育の名残「みんな仲良く」が子を追い込む、仲が悪くてもいい「教室で共存の練習」を 好き嫌いを超えて協働できる力が求められる
しかし、体育でたまたま同じチームになったとき、私はあえて別の子と入れ替えず、そのまま進めてみました。球技の得意なこの男の子のほうは、苦手な女の子に何かと教えてサポートしたり、ゲーム中には積極的にパスしたりしています。そしてゲームに勝ったときには、一緒になって喜ぶ姿を見せていました。
お互いを「好き」にはならなくても、必要な場面で力を合わせる経験はできます。この「必要なときに協働する力」こそ、将来の社会で不可欠です。
好きな相手がいてもよいのと同様、嫌いな相手がいてもよいのです。ただし、だからといってやたらとそれを主張したり、差別行為をしたりしていいというわけではありません。
この考え方は、戦時中の「国民は一つ、心を合わせよ」という教育とは真逆です。当時は異なる考え方を排除し、従わない者を非国民と呼びました。
その反省から、戦後の教育は自由と多様性を尊重する方向に進んだはずです。しかし現場では、形を変えた同調圧力――「仲良く」という名の強制が今なお残っています。
実際、私もかつて休み時間に必ず「みんなでドッジボール」をするのが恒例になっている時期がありました。一見、仲が良く見える光景ですが、運動が苦手な子やボールが怖い子にとっては地獄の時間です。「やらない」という選択をすると、「ノリが悪い」「協調性がない」といった視線が向けられ、断れない雰囲気が生まれます。
こうした“全員参加”の空気は、仲良く強制と同じ構造を持ち、無意識のうちに子どもを追い詰めてしまいます。私はこの経験から、物理的にも心理的にも距離や選択肢を確保することの大切さを痛感しました。
多様性を認めるということは、多様性を認めないという考えの人の存在も認めるということです。
「1人でいたい人」も「集団でいたい人」も、その間の人も、すべての存在を認める。それは必ずしも“仲良く”を意味しません。むしろ距離感を保ちながら安全に共存できる関係こそが、多様性を認めるということです。
戦時中の日本が失敗したのは、異質な存在を認めなかったことです。戦後の教育でも、大人の安心や国家の都合のために子どもを均一化し、その結果、社会は硬直化しました。教室でも同じ轍を踏むべきではありません。今の教育は子どもが健やかに生きるためにあるべきです。
そのためには、教師が意図的に「多様な組み合わせ」を設計する必要があります。例えば班編成や席替えでは、複数の価値観や性格が混ざるようにします。同時に、役割分担では全員が自分の得意分野を発揮できるよう配慮します。
こうした工夫は、好き嫌いを越えて成果を出す経験につながり、子どもたちに「いろんなタイプの人と関わることが大切だ」という実感を与えます。その感覚は、将来どんな環境に置かれても他者と協働できる力の土台になります。