「共感」と「距離感」の難しさ、ためらいと共に語る 『共感と距離感の練習』書評

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『共感と距離感の練習』小沼 理著
共感と距離感の練習(小沼 理著/柏書房/1760円/208ページ)
[著者プロフィル]小沼 理(おぬま・おさむ)/富山県出身、東京都在住のライター・編集者。1992年生まれ。著書に『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』(タバブックス)。本書が初めてのエッセー集となる。

書籍や雑誌の制作を陰で支えているのがライターという職業だ。例えばインタビュー記事。専門用語の多い話にもうなずきながら理解を示し、的確な質問で流れをコントロールする。会話を文字に起こし、余分を刈り込み、論旨を整理し、発せられなかった言葉を補って形を整える。文脈を読み、話者の趣意をつかむ技術が求められる、端的に言えば「わかる」力が高い人たちだと思っていた。

「わかる」という言葉への違和感

ところが1992年生まれのライター・編集者の著者は、初のエッセー集となる本書を「わかる」という言葉への違和感から語り始める。

「誰かのことを『わかる』と思う」とき、「痛みや悲しみが、自分の中へ流れ込んでくるように感じる」。ここでの「わかる」は「共感」と言い換えられる。それは身体的な反応のようにままならないもの、「する」ものではなく「してしまう」ものだ。

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