思考は単なる情報処理ではなく「生きた感覚」 『考えるという感覚/思考の意味』など書評3点

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ブックレビュー『今週の3冊』

 

[Book Review 今週のラインナップ]

・『考えるという感覚/思考の意味』

・『戦時下の政治家は国民に何を語ったか』

・『ルポ 国威発揚 「再プロパガンダ化」する世界を歩く』

『考えるという感覚/思考の意味』マルクス・ガブリエル 著
『考えるという感覚/思考の意味』マルクス・ガブリエル 著/姫田多佳子、飯泉佑介 訳(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

評者・人文ライター 斎藤哲也

考えることについて考える哲学書だ。一般に考えるとは、頭の中で繰り広げられる情報処理のようにイメージされがちだ。さながら、コンピューターのプログラムみたいに。しかし、著者はそういった理解を一蹴し、「思考は視覚や聴覚、触覚、味覚と同じように血の通った生きた感覚である」というテーゼを提示する。これが書名の前段「考えるという感覚」が指し示していることである。

単なる情報処理ではなく「生きた感覚」として思考を論じる

400ページ以上とブ厚い本書を通じて、著者はこのテーゼを緻密に論証すると同時に、現代の哲学・思想に見られるさまざまな誤謬を批判的に検証していく。とりわけ、思考を単なる情報処理や物理的な現象に還元しようとする機能主義や還元主義には手厳しい。それらの理論に共通するのは、思考を人間から切り離し、客観的なもの、あるいは機械的なものとして捉えようとする点である。しかし著者は、思考は生物的な感覚であり、感情や身体、社会的な文脈と深く結びついていることを力説する。

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