パリ五輪開会式「過激すぎ」でも東京より好評な訳 物議を醸した開会式、東京五輪と比べる声が多出

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振り返ってみると、大きく物議をかもしたのは、今回のパリと前回の東京くらいのようだ。

北京大会以前は、SNSが今ほど浸透しておらず、“炎上”する可能性も低かったのだが、直近で見ても、パリ五輪の開会式は物議をかもし過ぎであるように思う。

東京五輪の開会式を振り返ってみると…

東京パラリンピック閉会式の演出を担当した小橋賢児氏は、パリ五輪開会式の演出に関して「この時代の中で『攻めた姿勢』を見て、うらやましいものがあった」とスポーツ報知に語っている。

脳科学者の茂木健一郎氏は、Xに「パリ五輪の開会式、ここまで自由にやっていいんだという開放感があってすばらしい。形式化、マンネリ化していたのがすべて吹っ飛んだ感じ」と投稿している。

たしかに、パリ五輪は“自由”で“攻めた”演出だったと言える。批判の背景には「五輪という世界の多くの人が注目する国際大会の場で、これを行う必要があったのか?」という疑問があるように見える。

フランスに限らず、ヨーロッパの人びとは、他人の行動にあまり口出ししない傾向がある。多くの国家が隣り合い、国や民族を越えて行き来している地域のため、摩擦も絶えないのだが、「とりあえずは受け入れて、問題が起きたら解決策を講じよう」という基本姿勢を持っているように見える。

開会式の演出についても、「こういう批判が起きるかもしれないからやめておこう」、「こういうトラブルが想定されるから、十分な対策を取っておこう」といった意識は、少なくとも日本人ほど強くは持っていなかったようだ。

東京五輪の開会式を振り返ってみると、パリ五輪とは真逆で、“不自由”で“守りに走った”ことで、コンセプトが定まらず、インパクトに欠ける演出になってしまったと言える。

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