堀江貴文、100億円規模のAI起業はいくらでも可能 AIを使った新ビジネスが続々生まれるフェーズに

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では、ChatGPTが言語を学習するメカニズムとはどんなものか。

私たちが外国語を学ぶように、文法を知って単語を覚え、その2つを結び合わせるというプロセスではない。実は人間が自然言語を獲得していくプロセスと何ら変わらないのだ。

人間の赤ん坊と同じように、自然言語を大量に浴びせられて、その大量のデータをもとに、パターン認識で適当と思われるものを再構成している。

ここで1つの命題が浮かび上がってくる。人間を人間たらしめているものの1つが自然言語であるならば、同じプロセスで言語を獲得するGPTを前にして、私たち人間とは何なのだろうか。

生成AIは人間の叡智が生んだものである。だが多くの人は、その人間の叡智の産物に恐れを抱くだろう。将来、人間は、自ら産み落としたAIに侵食されてしまうのではないかという恐れである。

私には、そうした恐れはない。AIと人間は対立するものではなく、融合していくものだと考えているからである。

今のAI技術を見ていると、たしかに人間とAIの区別がどんどんつかなくなってきている。これは今後も加速度的に進んでいくだろう。

しかし、それはAIによる人間の侵食ではない。AIと人間の融合なのだ。

AIと人間の区別がどんどんつかなくなっているなか、多くは「もう、どうでもいいや」と頭を使うことをやめていくだろう。そういう人たちは映画「マトリックス」のエージェント・スミスみたいになっていくが、ネオみたいな意志の強い一部の人がクリエイティビティを発揮する一瞬があるはずだ。

人間は常にノイズ的な不要な情報を発している。AI新時代においては、それこそが人間たるゆえんとなっていくのかもしれない。

いわば「非合理性を兼ね備えた人間と、合理的なAIの融合」により、今までには生まれようもなかった、想像を超えた文明が切り開かれていくはずだ。人間もAIもさらなる高みを目指していけばいい。

「AIホリエモン」「AIあなた」という個性の爆誕

私は仕事の多くの部分をChatGPTに委ねている。誰かの新刊書に推薦文を書いてほしいと言われたときもそうだ。

ChatGPTにその本の概要を教えて、「この本の推薦文を書いてほしい」と指示すれば、たちどころに数種の推薦文を書いてくれる。その中から一番自分らしいものを選んで、さらに手直しすれば完成だ。自分で1冊を通して読む必要はない。

取材を受けたときも、ChatGPTを使う。

たとえば「日本経済についてどう思いますか」「環境問題について何かひと言」など、テーマが大きすぎて答えづらい質問を投げかけられたら、そのままChatGPTに流して回答リストを生成してもらう。その中から、私の思いに一致するものを選べばいい。

ただし、この段階でのChatGPTの最大の欠陥は「個性」がないことだ。どこかで聞いたような、どこかで読んだような既視感がつきまとう。生成AIは学習済みの膨大なデータから答えを生成しているわけだから、真新しいものは出てこなくて当然である。

個性がないこと、これこそAIが抱える最大かつ克服しがたい難点であり、人間とAIの差が出る点である。

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