多摩モノレール延伸区間「幻の鉄道計画」の顛末 政界巻き込む事件に発展「武州鉄道」の壮大構想

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次に時系列的な観点から見ると、武州鉄道に免許が下りる1年前の1960年7月に、岸内閣は総辞職しており、後継の池田内閣では木暮武太夫(ぶだゆう)が運輸大臣に就任し、武州鉄道の免許は、この木暮大臣名義で下付されている。

仮に楢橋が金銭を受け取ったにしろ、運輸審議会の答申(1961年7月6日)前のことであり、その時点において、楢橋に武州鉄道の免許の可否を決定する職務権限はなかったと弁護人は主張したのである。しかし、東京地裁は次のように、この主張を退けた。

「運輸審議会は、運輸省に設置された諮問機関であり、運輸大臣の諮問に応じて意見を答申し(中略)これらの意見は決定権者である運輸大臣の参考意見にとどまり、何ら決定権者を拘束しない。(中略)運輸審議会委員七人のうち一人は運輸事務次官であり、原局の長も審議会に意見を述べたり、審議会の要求で資料を提出しなければならぬ規定もある。従って少なくとも大臣の職務権限は、大臣官房や原局の長を通じ右に掲げた範囲で審議会に及び、特定事案について運輸大臣の権限自体が運輸審議会の権限によって限定・変更されることはない。諮問前であろうと諮問が進行中であろうと、運輸大臣が当該事案について免許に関する職務権限を有しないと解することはできない」(運輸審議会の委員構成等は当時のもの)

つまり、楢橋には免許に関する職務権限があり、賄賂を受け取ったとされたのである。

一審で楢橋、滝嶋にいずれも懲役3年の実刑判決が言い渡され、控訴審(東京高裁)で楢橋に懲役2年執行猶予3年、滝嶋に懲役2年の有罪判決が確定した。なお、平沼らの特別背任等は無罪となった。

本事件に関しては、岸信介から弟の佐藤栄作(後に首相)の将来を託されていた党内実力者の楢橋が、池田首相の再選を阻む者として、池田陣営によって陥れられたのだとか、いろいろなことが言われたようだが、どう見ても楢橋の脇が甘かったとしか思えない。

武州鉄道、もし開業していたら?

こうして幕を閉じた武州鉄道事件であったが、仮に同鉄道が開業にこぎ着けていたならば、どうなっただろうか。参考になるのが、西武秩父線(1969年10月に開業)の収支である。2013年に西武ホールディングスが米投資会社「サーベラス」からTOB(敵対的な株式公開買い付け)を仕掛けられた際、「不採算路線」として同線などを廃止するよう求められたのは記憶に新しい。

旧・名栗村付近の山岳路線は収益性が低い割に維持費がかかることなどからすれば、武州鉄道という弱小資本が路線を維持するのには無理があるし、採算性を考えれば西武が買収したかも疑問である。

一方で、路線を吉祥寺から東青梅までに縮小して開業したならば、青梅線・西武国分寺線・中央線を結ぶバイパス線として、沿線開発や既設路線の混雑緩和の観点から成業した可能性はある(ただし、1968年に西武拝島線が玉川上水駅から拝島駅まで延伸・開業していることから競合関係になっただろう)。だが、そもそも武州鉄道は、埼玉銀行という資金源があればこそ成立する計画だったのであり、その点で最初から矛盾を抱えていたのである。

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森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など

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