日本の捨て石として「辺境」が歩んだ共通の悲劇 太平洋戦争の地上戦から見る戦争の教訓(前編)

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沖縄出身の日本軍兵士・軍属2万8228人(県外出身の日本兵6万5908人)、防衛招集された者5万5246人、非戦闘員3万8754人、推計12万人超もの沖縄県民が亡くなったとされる沖縄戦は、「県民の4人に1人が亡くなった戦争」として地元で語り継がれている。

アメリカ側の被害も大きく、1万2520人の米兵が死亡した。これがアメリカのソ連参戦要請につながる。ソ連の対日参戦が決定したのは沖縄戦の始まる前、1945年2月のヤルタ会談だが、ソ連に参戦を約束させたアメリカのルーズベルト大統領が同年4月に病死すると、後継のトルーマン大統領はソ連に対する不信感からヤルタ協定破棄を公言する。トルーマンを翻意させ、原子爆弾の開発成功後もソ連参戦を求め続けたのは、沖縄戦で死傷者続出に直面していた米軍部だった。

犠牲者を増やし続けた日本のこだわり

南洋戦、沖縄戦、日ソ戦は地域も時期も異なるが、本土防衛のための日本軍の「捨て石」作戦と、民間人の根こそぎ動員・集団自決という共通のパターンは驚くほど同じだ。大本営は各地での敗北から学ばず、同じ失敗をくり返した。なぜか。

ひとつには、敵に打撃を与えてから終戦交渉で有利な条件を引き出す「一撃講和」に、昭和天皇と日本軍部がこだわり続けたことがある。武器・物資いずれも質量ともに圧倒的優位にあり、長期的計画のもとで十分な兵力と補給を確保して作戦を展開するアメリカ軍相手に、一矢報いるという幻想を持ち続けたことが、行き当たりばったりの消耗戦をずるずる引き延ばす結果となった。

他方、日本との戦いが予想外に長期化し、自国の死傷者が増え続ける中で、アメリカ側は1944年に入ると、日本の完全敗北を求めて無差別攻撃や掃討作戦を行うようになる。日本本土の各都市への空襲に加え、ナパームを噴射する火炎放射戦車を前線に投入、陣地や洞窟に立てこもる日本軍兵士を火炎で焼き殺した。

沖縄戦では、日本兵と住民が混在する壕(ガマ)が、アメリカ軍の火炎放射器や手りゅう弾の攻撃を受け、多数の犠牲者を出した。現在、ひめゆりの塔が建っている糸満市のガマでは、日本軍の解散命令で戦場に放り出された「ひめゆり学徒隊」ら看護要員と、住民、兵士約100人が隠れていたところを、アメリカ軍のガス手りゅう弾で攻撃され、80人超が死亡する。また、日ソ戦同様に沖縄戦でも、アメリカ軍による投降兵・住民の殺害やレイプ、強制収容所での捕虜の虐殺などが起きている。

日本が戦争を引き延ばしたことが、アメリカ側の目標を日本の完全敗北に、その攻撃をより残忍で無差別なものとした。また、自国の犠牲を少しでもおさえたいアメリカが、日本の領土割譲を条件にソ連を引き込むことにつながる。ソ連は分け前を求めて対日参戦を早め、日本の降伏後も停戦に応じずに侵攻、日本側の犠牲者を激増させた。

(6月23日配信の後編に続く)
山本 章子 琉球大学准教授

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やまもと あきこ / Akiko Yamamoto

琉球大学人文社会学部国際法政学科准教授。1979年北海道生まれ。一橋大学法学部卒。編集者を経て、2015年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。沖縄国際大学講師、琉球大学専任講師などを経て2020年4月から現職。専攻・国際政治史。著書に『日米地位協定 在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書)、『米国と日米安保条約改定――沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年、日本防衛学会猪木正道賞奨励賞受賞)など。

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