働き方改革を阻む「保護者対応」、モンスター化を防ぐ「枠組みづくり」の視点 「法的根拠」がない現状では毅然と対応できない

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「いじめの重大事態が発生すると、日本では社会もメディアも学校や学校設置者である教育委員会の責任を追及しがち。本来ならいじめの加害者の責任を問うべきです。もちろん、先生や学校ができることを見逃していたのであれば、率直に反省や改善をすべきですが、そもそも子どもの養育の第一義的責任者は保護者です。保護者の中には、家庭で教えるべきことや解決すべきことまで先生や学校に丸投げしてしまう方がいらっしゃいます。とくに若い先生には保護者対応のスキルも裁量権もありませんから、困難な場面に発展すると、精神疾患や休職といった状況に追い込まれやすいのです」

「自分は被害者である」という認知の歪み

保護者が教員に相談をすることや疑問や思いを伝えること自体は、当然のこと。しかし、教員が対応に苦慮する保護者は、次のような傾向が見られるという。

「心理学的な観点から言うと、共通するのは被害者意識という認知の歪みがあること。しかも、学校に『解決しろ』と言いながらも『被害者であること』をやめたくないケースが存在します。99%の保護者は通常の対応で大丈夫なのですが、『自分は被害者である』という認知の歪みが強い保護者の場合、もっと合理的・科学的なスキルで対応する必要があります」

とくに次のような傾向が見られる保護者の場合、「まずは相手に寄り添って共感する」という対応での解決は難しいという。

■被害者意識が強い保護者に見られる傾向

(1)自分が被害者であることを強く訴える

(2)「自分は純粋無垢で相手は悪」という認識で話す

(3)教員や相手に対する共感に欠ける

(4)被害経験を反芻し、復讐心を大きくしていく

 

「被害者意識が強い保護者は、被害経験を滔々(とうとう)と述べ、学校を動かして相手に復讐しようとします。多くの先生は『何とかしてあげなければ』と共感的になりますが、その被害経験が正確であるとは限らず、実はむしろ加害的であったという場合もあります。『自分は純粋無垢で相手は悪』と思い込みがちで『うちの子はまったく悪くない』と主張したり、共感性に欠け、『こちらがこんなに苦しんでいるのだから相手(学校側も含む)が苦しむのは当然だ』と攻撃したり。被害経験を反芻する中で復讐心が大きくなっていくのも特徴です」

そのため、被害者意識が強い保護者に対してはじっくり時間をかけるのではなく、初動が重要だと松浦氏は語る。

「寄り添って対応に時間をかければかけるほど、その間に被害経験を反芻して『相手をもっと痛めつけたい』という欲求が増大し、モンスター化していきます。しかし、こうした保護者も最初からモンスターなのではありません。ケースによっては、問題が起きたときに素早く保護者の特性をアセスメントし、問題解決よりも暴走化させないことを目標にすることが重要になります」

保護者をモンスター化させない「3つの枠組み」

保護者の暴走化を防ぐためには、「学校はこの枠組みの範囲でしか対応しません」とはっきり示す覚悟が必要だという。

「学校として枠組みを決め、教員1人ひとりは、裁量権を持つ校長の指示命令系統の下で対応する。すべての教員が枠組みを共有し、学校の統一見解として淡々と常識的対応策を保護者に伝えていくのです。それが、保護者をモンスター化させないポイントです」

では、枠組みとは具体的にどんなものなのか。松浦氏は小学校の校長に就任した際、以下の3つを実行したという。

■松浦氏が校長時代につくった枠組み

(1)教育的に正しいかどうかを、保護者対応の最優先基準とする

(2)家庭訪問は原則禁止

(3)電話対応は30分以内

 

まず重要なのが、校長の対応だ。前述のように、現場の教員は子どもという存在が間に入るため、保護者との関係を断つことができない。そのため、不当な要求であっても、保護者の思いに応えなければと葛藤してしまう。

だからこそ、保護者からの不当な要求があった際には、「校長が『その対応は教育的に正しくありません』と保護者に言うべき。校長は教員のモデルになり、『できない』と伝える練習をすべきです」と、松浦氏は強調する。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事