新学期の子どもの「しんどさ」「苦しさ」に注意…教員や大人ができる声かけは 大人社会の余裕のなさが子どものつらさを生む

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鴻巣氏は子どもがいつでも相談できるよう、「暇そうにすること」を心がけている。「やることがあっても暇そうにするのって難しいんですよ」と笑いながら、最近耳にする機会が増えた「ずるい」という言葉にも警鐘を鳴らす。

「合理的配慮は『ずるい』、借りた奨学金を返さないのは『ずるい』、学校の先生方からも、暇そうなほかの先生が『ずるい』――そんなふうに聞くことがとても増えた気がします。表れているのは、そう感じてしまう本人の余裕のなさ。周りの誰かをずるいと思うのは、そう感じる側のSOSだと言ってもいい。これは大人も子どもも同じことです」

公教育の場の「福祉」には、教員の権利も含まれている

ヘビーな相談が寄せられることも多い日々の中で、鴻巣氏は定期的にカウンセリングを受けるなど、自身のケアも大切にしている。忙しい教員たちにも、その視点で「自分を許してあげてほしい」と訴える。

「すでに学校は福祉の場となっているとお話ししましたが、公共の福祉には先生方の権利や幸せも含まれているのです。自分の時間を犠牲にして学校の子どもを1人救ったとしても、そこで自分の子どもに我慢をさせていたら、結果としてはプラマイゼロなんですよね。だから私は自分の娘と過ごす時間は減らさないと決めています。学校は子どもにも先生にも『全力頑張れ主義』を強いていますが、それで先生が倒れたり、子どもが学校に行けなくなったりするなら意味がない。そもそも子どもが困っていることの元をたどると、必ず大人の問題に行きあたるものなのです」

例えば家庭の経済状況による子どもの苦しさは、言うまでもなく保護者が抱える問題だ。学校での子どもの苦しさも、じっくり話を聞いてみると、教室全体のギスギスした雰囲気が見えてくることがあるそうだ。

「大人に対して行えば大問題になるようなことが、学校では今もあまりに当たり前に行われています。集団の中で叱責して恥をかかせることなどは、大人が思う以上にダメージが大きいものです。子どもは失敗して当たり前なのに、先生がそれを許さず、連帯責任を問うことも少なくありません。効率を重視したら仕方ないという考え方なのかもしれませんが、こんな環境に置かれた子どもは苦しくなるに決まっています」

この悪循環を断つために、文部科学省の発想転換も必要だと鴻巣氏は言う。学校はよくも悪くもトップダウンの傾向が強く、教員の意見だけで変わることは難しい。文科省の決定が一律で下りてこなければ、負担を減らすこともできないからだ。

「学校の先生が忙しいのは、上からの指示でやることがどんどん増えていくからです。教育の内容をアップデートするのはいいのですが、文科省は何かを増やしたら何かをやめるという判断もしてほしいですね。多すぎるイベントも全部やめたっていいと思う。先生に余裕ができれば、子どもが感じるしんどさも変わっていくはずです」

子どものしんどさを生むのは大人であり、苦しい子どもや不幸な子どもが多い社会は、苦しく不幸な未来に向かう。大切なのは大人が変わり、今の社会を変えることだと強調した。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:Graphs / PIXTA)

東洋経済education × ICT編集部

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