新学期の子どもの「しんどさ」「苦しさ」に注意…教員や大人ができる声かけは 大人社会の余裕のなさが子どものつらさを生む
制服代や教科書代、受験料から入学金、それまでなかった登校の交通費や昼食代など――。さらに最近の物価高が、その困窮に拍車をかける。「何か使える支援はないか」と聞く保護者や、「きょうだいの学費を手助けしなければならない」「自分の食費は自分で出せと親に言われた」などと言う子どもが、鴻巣氏のもとに数多くやってくる。
慣れない環境でただでさえストレスの多いところに、家庭の状況によっては、アルバイトや家族の世話がのしかかることも。子どもたちの自死や不登校は長期休暇明けに起こりやすいが、疲れ果てた結果がそこで表出しているのであり「リスクの種は、4月の時点ですでに蒔かれているのではないでしょうか」と鴻巣氏は語る。
では、周囲の大人はそんな子どもたちにどう言葉をかければいいのか。言いがちな「困ったことがあったら相談してね」という声かけには、あまり意味がないと言う。
「理不尽な大人との関わりでしんどさを感じている子どもに、大人を信じて悩みを打ち明けろと言っても難しいものです。それに困っているときって悩みで頭がいっぱいで、相談しようとかどう話そうとか考えることもできませんよね。困ってからではもう遅いというのが本当のところで、だから日頃からの声かけが重要なのです」
有効なのは「今日はどんなことがあったの?」とこまめに声をかけること。子ども本人がモヤモヤの理由がわかっていないこともある。「朝学校に着いたときはどうだった?」「給食の時間は?」などと具体的に聞くことで、本人も整理と言語化ができ「そういえば休み時間にこんなことが……」と気付くことがあるそうだ。
「大人の聞き方次第で、それはしんどさの増幅の機会にもなりかねません。『つらい』という言葉が出てきたときに『なんで?』『どうして?』と理由を問い詰めてしまうと、叱責として受け取られがち。子どもに『あ、怒られる』と思われたら、気持ちを引き出すことは難しくなるでしょう」
子どもへの声かけの注意点と「ずるい」に潜む大人のSOS
日頃の声かけを積み重ね、信頼関係を築くことが大切だと語る鴻巣氏。だがこれを教員が教室の全員に徹底することは不可能だ。より密なコミュニケーションが家庭でもなされるべきだが、そうしてもらえない子どもの家庭ほど、困りごとが生じるリスクが高い。
「公教育の場はすでに福祉の要素を含んでいて、そのポジションから引き返すことは子どもたちの利益になりません。学校は地域や家庭の問題を可視化する力がある、いわば児童福祉のポータルサイトのような役割を担っているわけですが、すべてに先生が対応することは到底できませんし、先生任せにしてはいけません。必要なのは、私たちのようなスクールソーシャルワーカーやカウンセラー、医療関係者など、さまざまなプロフェッショナルをどんどん入れて、学校に人を増やしていくこと。やっとできたこども家庭庁にも本領を発揮してもらって、先生の負担を手放していくことです」
福島に拠点を置く鴻巣氏は、「10年以上ずっと、何かしらの危機が子どもたちを襲い続けている」と言う。東日本大震災の癒えない傷、そこを見舞ったコロナ禍、長引く不況。余裕のなさが大人にも子どもにも苦しい空気を生んでおり、例えば「自己責任論」もそこから来たものだと考えている。
「家庭が裕福でないなら、飛び抜けて優秀ではない子どもは進学する必要がないという人も多くいますね。貧乏なら奨学金を借りればいいとか、お金がないのに進学したいならもっと学力を伸ばすべきだとか、それは経済的に厳しい家庭の子どもだけに課される不当な競争です。貧困と格差が常態化したこの世の中において、自己責任論はコミュニティー自滅への道を歩むものだということを理解してほしいと思います」