不登校経験の運転士発案「スクール」何をやるのか 小田急開設、経験生かし「絶望しなくていい」
両親は学校に行くことを無理強いせず、鉄道好きの別所さんを連れて、鉄道旅に出かけるなどし、スケジュールと予算を両親に説明すれば、1人旅に出かけることも許してくれたという。
「大人になってから両親と話すと、あの頃は気が気じゃなかったと言うが、両親が僕のことを信頼してくれていたからこそできたことだった。両親なりに不登校児に対する接し方について情報収集してくれていたのだろう」(別所さん)
好きな鉄道旅行を楽しむうちに心身の健康を取り戻すと、将来のことについても考える余裕が出てくる。そうするうちに高校進学を意識するようになったが、そこに壁があった。中学3年間のほとんどを不登校で過ごした別所さんの内申点はゼロ。いくら受験勉強をしても、入学できる高校の選択肢が非常に限られていたのだ。そこで両親が探してきてくれた、内申点がゼロでも試験に合格すれば入学できる都立高校へ進学することになった。
「その高校は、多くの生徒が僕と同じような経験を持っていたので、生徒同士、お互いに過去のことには触れず、今後を楽しもうという空気感があった。仲間ができて居心地がよかった」(別所さん)
こうして別所さんは高校から復学することができ、その後、交通系の専門学校を経て小田急に入社した。
自分自身を肯定できなかった過去
一方の鷲田さんは、別所さんとはだいぶ事情が異なる。「高校時代に週に1日くらい学校に行けない日があったが、文科省の定義では、『不登校』とは年間30日以上、学校に行かないこととされている。僕のケースは不登校に当てはまるか、当てはまらないかのボーダーライン」。
このような統計には現われない「潜在的不登校」「隠れ不登校」とカテゴライズされる子どもの数は、非常に多いという。
鷲田さんが学校を休みがちになったのには、両親の離婚・再婚という家庭環境の変化の影響もあったが、それよりも自分自身を肯定できなかったことが大きかったと振り返る。
「父親の影響で小さな頃から鉄道、とくに小田急マニアだったが、中学に進学する頃から『電車好きは子どもっぽい』と周囲に思われるという思い込みから、鉄道マニアでいることがコンプレックスになった。本当は鉄道の趣味に打ち込みたいのに、それができないために何事にも本気になれない自分がいた。両親の離婚で、そのことを父親に相談することもできなかった。しかし、高校を休んで鉄道に乗りに出かけるうちに、鉄道で働く人たちの姿を見て、次第にコンプレックスが薄らぎ、自分も鉄道業界で働きたいという気持ちが強くなった」(鷲田さん)
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