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皆が唱える「内需主導の成長」論は思考停止の産物 GDPの外需や内需の寄与度は意味をなさない

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にぎわう繁華街のイメージ画像
(写真:Ryuji/PIXTA)

多くの人が当然のように「内需主導(または民需主導)の成長」が重要だとするのだが、私はこの考え方に違和感がある。以下では、内需主導の成長について検討するが、民需主導(民需に公的需要を加えたものが内需)についてもほぼ同じ議論が成立するはずだ。

私が、内需中心の成長という考え方に違和感を覚えるのは次のような理由による。

違和感を感じる3つの理由

第1に、どうして内需中心でなければならないのかがよくわからない。歴代の経済演説(経済政策担当相による国会演説)を調べてみると、最初に内需主導という言葉が登場したのは、1983年1月であり、「内需中心の経済の着実な成長は、貿易摩擦の解決のためにも、また、雇用の安定を図るためにも肝要であります」(一部略)と述べられている。

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