釜石市が被災自治体でいち早く「復興まちづくり委員会」を連休明けにもスタート、野田武則市長に復興の方針を聞く
東北地方にある新日鉄の企業城下町として栄えた岩手県釜石市。大津波で沿岸部の中心市街地が浸水し、死者・行方不明者は合計1300余りに及ぶ甚大な被害を被った。一貫製鉄所の象徴である高炉の火が消えて20年余り。全国的な注目を浴びた「ラグビーの釜石」も遠い記憶となった今、被災地として再び注目を浴びた釜石市を率いる野田武則市長に、復興に賭ける思いなどを聞いた。
--海に近い市庁舎が2階まで浸水被害に遭うやいなや、津波が来なかった釜石駅前の商業施設「シープラザ」に災害対策本部を設置し、この仮市庁舎で、被災者支援をはじめ震災復旧の陣頭指揮を執ってきました。その間、復興まちづくり委員会を立ち上げる方針を打ち出すなど、復興への強い決意が全国に発信。今後に向けてどういう方針で臨みますか。
『みんなで希望を抱いて新生・釜石の実現に向けてこころを1つにしよう』というスローガンのもとで、地域住民との連携を大事にする基本姿勢は何ら変わらない。少子高齢化が進む日本の縮図のようなこの街で、子供に未来を、市民には優しさを与える市役所のあり方を求めてきた。
ただ、震災で環境は変わっている。従来に増して決断力を発揮し、スピーディーに政策を実行していく。
--釜石市は「エコタウン」を標榜。市の幹部が全国を歩いて地域交流を図りつつ、地場経営者向けのセミナーを釜石市内で開くなどその産業振興策は、地域再生の模範として知られています。こうした地域再生の計画はどうなるのか。市長の諮問機関を複数立ち上げながら、復興ビジョンをまとめるとのことですが、そのメドを教えてください。
中心には、5月連休明けにも第1回目の会合を開く予定の「復興まちづくり委員会」がある。市の幹部と、市民代表が構成メンバーだ。また、別枠で、市が知恵を借りる場として、有識者に意見を出してもらう専門的なプロジェクトを立ち上げる。
また、市内の地域ごとに異なる状況があるので「復興地域会議」を設けて、地域ごとの意見や要望を聞く場とする。早期にあらあらでも復興計画を市民に示し、理解を得る努力をしたい。