高校や大学の進学も視野に入れた「切れ目のない支援」を強化

東京23区の最北端に位置する足立区。これまでも子育てや教育に関する手厚い施策が注目を集めてきたが、2023年度の主要施策の1つ「子ども・若者全力応援プラン」(下記一覧参照)では、就学前から大学期まで切れ目のない支援策を打ち出しており、区のさらなる本気度が伝わってくる。

【2023年度 新たな子育て・教育施策】
(未就学児)
●私立幼稚園・認定こども園の給食費無償化(NEW)
●私立幼稚園などの保育料を補助(拡充)
●ベビーシッター利用料を補助(NEW)

(小・中学生)
●区立中学校の給食費無償化(NEW)
●AIドリル活用を小1・2にも拡大(拡充)
●中3に英検受験費用を補助(NEW)
●欠食児童・生徒へ学校で補助食提供(NEW)
●夏休み中の児童・生徒の食の支援(拡充)

(高校生・大学生)
●返済不要の給付型奨学金を新設(NEW)
●高校生の部活動費用などを支援(NEW)
●難関大学合格を目指す学習塾を開設(NEW)
●高校中退者の学び直し支援(NEW)
●児童養護施設等退所者への居住支援(拡充)
●コミュニケーションに課題を抱える若者の就労支援(NEW)

 

とくに今年度は、高校や大学の進学も視野に入れた支援を強化。例えば、区立中学校では給食費無償化や英検受験費用の補助、高校生では給付型奨学金の創設や難関大学を目指す生徒の学習塾「足立ミライゼミ」の開設、中退者の学び直し支援などの新しい施策を始めた。

足立区が「給付型奨学金」を独自に新設した理由

とりわけ話題を集めているのが、返済不要の給付型奨学金だ。受給条件は、学業成績が5段階評価で平均4.0以上、生計維持者が足立区在住で世帯年収が基準(4人世帯で800万円が目安)以下であること、進学予定または在学中であること。私大理系は総額約830万円、私大医学系は約3600万円を上限として、授業料、施設整備費の全額に加え、新入生には入学料も支給する。2023年度は40人の定員に311人の応募があり、43人に奨学金を支給した。

なぜ区でこれだけ高額な給付型奨学金を創設したのか。その理由を足立区長の近藤弥生氏はこう話す。

近藤弥生(こんどう・やよい)
1959年生まれ。青山学院大学大学院経済学博士前期課程修了。警視庁警察官、税理士を経て、97年から東京都議会議員を3期務め、2007年6月、足立区長就任。現在5期目。趣味は寺社巡り、写経。座右の銘は「継続は力なり」

「新聞を読んでいたら、『結婚を考えている相手に奨学金の返済があり結婚を迷っている』という人生相談がありました。奨学金の返済額を調べてみたら、平均で300万円、多い人で500万円。社会に出た時点でこれだけ借金を抱えていたら、正規の仕事でも余裕はなく、正規の仕事に就けなければもっと生活は厳しくなるはず。とくに医学系・理系の大学の学費は高く、忙しくてバイトをする時間もないと聞きます。行きたい学部があっても違う選択を強いられることもあるでしょう。だから、夢や希望を実現できる制度を目指したのです」

2023年度から奨学金の給付がスタートしたが、よりよい支援となるようすでに調整を考えているという。

「医学・歯学系は学費がかなり高いため、医学・歯学系に関する所得制限については、今後の応募状況を見ながら改めて検討していきたいと考えています。また、きょうだいが多ければ子ども1人にかけられる学費も限られます。より立体的に条件を検討し、支援の内容を進化させたいと考えています」

足立区は、20年から「足立区奨学金返済支援助成」も行っている。これは対象の奨学金の貸し付けを受けている、または受ける予定の高校生・大学生に対し、借入総額の半額(上限100万円)を助成するというものだ。「今後は、今返済されている方々の負担軽減策についても検討していきます」と近藤氏は言う。

「出産した人への支援も大事ですが、若い世代が『結婚したい』『子どもが欲しい』という気持ちになるには、経済的な自立が必要です。もちろん結婚や子どもを持つことを望まない人もいるので、そう考える人を無理に変えるつもりはありません。ただ、若い世代が家庭を持つことを望んだときに、一歩踏み出せるような支援をしたいと考えています」

足立区が抱える「4つのボトルネック的課題」

足立区ではこれまでも、教育資金の支援だけでなく、基礎学力の定着を図るための個に応じたきめ細かな指導や、学習意欲が高い中学生向けの学習塾「足立はばたき塾」(関連記事:「学力トップ層向け『はばたき塾』が話題の足立区、ほかの教育施策もすごかった」)など、さまざまな学習支援策も展開してきた。

手厚い教育施策を進める背景には、「①治安、②子どもの学力、③健康寿命の短さ、④貧困の連鎖という4つのボトルネック的課題(※)がある」と近藤氏は指摘する。

※克服しない限り区内外から正当な評価が得られない根本的課題

「経済的に厳しいと健康が二の次になり、健康に問題があれば働けなくなって貧困になります。また、働かなければいけない状況では学歴は二の次に。4つのボトルネック的課題はすべてが影響し合っており、貧困の連鎖を断つためにはやはり子ども支援が必要なのです」

「足立ミライゼミ」も、そうした思いから今年度スタートした支援策だ。これは区内在住の高校1年生を対象に、塾などでの学習機会が少ない成績上位者の難関大学合格をサポートするもの。足立はばたき塾の高校生版だ。

「義務教育は中学校までなので、その先の支援までは行ってこなかったのですが、区立中学や高校の校長先生、東京都、NPOなどが参加する若年者支援協議会を通じて、頑張って高校に進学しても家庭の経済力は変わらないため苦労は続くという課題が見えてきたのです。例えば、足立ミライゼミで大学に合格したら、今度は区の奨学金で大学に通うといったことができるように、高校進学後も切れ目のない支援が必要だと考えました」

このように、支援策は現場の声から実現するものも多い。

「今年から部活動費や課外活動費、資格取得などの費用として年額5万円支給する『高校生応援支援金』を始めましたが、これも校長先生から『道具を買う費用や遠征費が出せず、クラブ活動が“贅沢”になっている子がいる』と聞いたことがきっかけです。家庭で朝食が提供されず、授業に集中できないお子さんに対して学校が補助食を提供できる費用の補助も、現場の先生方の声を基に始めました」

足立区では、子どもたちの将来を見据えてICTの活用も推進している。2022年度からは小中学校でAIドリルを全校に導入し、個に応じた学習に役立てている。

「今はICTを使えないと仕事にならないので、子どもたちが『使ったことがない』とならないようにしないと。ただ、ICTは使い方次第なので、対面のコミュニケーションも大切にしながら進めています。ICTを使いこなせない世代の先生もいますから、専門の支援員を配置するなど学校間格差が出ないようにしています」

「教育は経済的な格差を埋める最強の武器」

近藤氏は大学を卒業後、警察官と税理士を経て東京都議に立候補し、3期10年を務めて2007年6月に足立区長に就任した。区長になって驚いたのは、「自分が思っていた以上に足立区がマイナスのイメージで見られている」(近藤氏)ことだったという。

それを強く実感したのは、若者たちの声だ。足立区では、成人式「二十歳の集い」を、20歳を迎えた若者による実行委員会形式で実施しているが、その実行委員たちから毎年「今のイメージでは区民は自己を肯定できず、経済力がつけば区外に出ていってしまう。抜本的にイメージを変えてほしい」と指摘されるという。

「彼らの言うとおりだと思いました。若い人が税金を納めてくれれば持続可能な自治体運営ができ、高齢者を支えることにもつながります。そのためにも、『4つのボトルネック的課題』の解決は急務だと思いました。ただ、何とか頑張って足立区の刑法犯認知件数はピーク時の2001年と比べて約8割も減ったのですが、マイナスのイメージは払拭しきれていません。支援もタマネギの皮を一枚一枚むいていくようなもの。1つの課題に対して支援策を打つと、そこからこぼれる人がいるので、さらに支援を打つ必要が出てくる。これですべての人が救われるというところにはなかなか行き着かないものです」

一方、教育支援に力を入れてきた中では、うれしい変化もある。

「足立はばたき塾に通った子が『二十歳の集い』の実行委員になったり、区役所職員に応募してきてくれたりと、植えた苗は着実に育っています。見返りを期待して支援策を行っているわけではありませんが、支援を受けた方が『社会の役に立つ人になりたい』と言ってくれるのはとてもうれしいですね。教育は経済的な格差を埋める最強の武器。もちろん、大学を出たからといって幸せになれるわけではありませんが、子どもや若者が自分の足で立っていけるよう、区としてしっかり支えていきたい。生きていくうえでの基礎力は、公教育の中でつける必要があると考えています」

課題に一つひとつ取り組み、そのセーフティーネットの網目を細かくしてきた足立区。現在強化している切れ目のない教育支援が、この地域の子どもや若者の未来、そして地域の未来をどう変えていくのか、目が離せない。

(文:吉田渓、撮影:尾形文繁)