1人の個人として勝負できる人間になりたい
──ミスミ創業者の田口弘さんが「この本を読んでようやくわかった。だから、三枝さんは日本人離れした、あれだけ強い人になったんだ」と言っておられた。
実は、若い頃の一連の話を出したのは、『決定版 戦略プロフェッショナル』が初めてなんです。この本の3分の2は私の人生について書いた。大学を出て、いわゆる一流企業に入ったものの、違う、ここは自分の居場所じゃないと。
1人の個人として勝負できる人間になりたい。そう思って米ボストン コンサルティング グループ(BCG)の日本国内採用第1号として移った。変わり種だったと思う。非常に孤独でした。
──BCGへの入社は1969年。高度成長真っ盛りでした。
最初、米国は日本をバカにしていたが、鉄鋼・繊維がやられ、自動車まで食われて米国の認識が変わった。日本は「強い経営」だ、すばらしい、となったのが70年代後半から80年代にかけて。
日本ブームの先鞭をつけたのは、『日本の経営』を書いたアベグレン。BCGで彼と一緒だった私も、もちろん、日本はすごいんだと思っていた。
BCGで4年。それから私はスタンフォード大学のビジネススクールに行く。コンサルはいわば個人事業主の集まり。もっと大きな組織を動かしてみたい、もう少し力をつけねば、と思った。普通はスタンフォードやハーバードを出た人がコンサルに行く。私は逆コースだった。
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