太平洋上で碇泊していた中型漁船「第58寿和(すわ)丸」が、突如、大きな2度の衝撃を受け沈没した。1度目は「ドーン」、2度目は「ドス」「バキッ」という構造物が壊れるような音がしたという。乗組員20人のうち17人が犠牲になった。2008年6月のことだ。それから11年後、著者は偶然に事故を知った。3年にわたる100人近くへの丹念な取材から見えてきたものとは──。
──不可解な事故です。
船が沈没したのは、千葉の犬吠埼から東へ350キロメートルの沖合。朝、海はシケていました。寿和丸は、いかりの一種であるパラシュートアンカーを使って碇泊(パラ泊)し、天候の回復を待っていました。昼ごろには海況は穏やかになりつつあり、いつ漁を始めてもおかしくない、そんな海でした。
生存者の証言によると、船の右前方に激しい2度の衝撃があったのが午後1時すぎ。135トン、全長48メートルの船は衝撃からわずか1〜2分で転覆し、1時間足らずで沈没しました。嵐でもなく、安全性が高いパラ泊をしていたのにです。3人の生存者は黒い油でドロドロになった海を泳ぎ、何とか命を取り留めました。
証言と真っ向から食い違う「油」
──運輸安全委員会の調査報告書では「原因は波」とされました。
報告書が示した可能性は、漁具の積み方が悪く右に傾いていた船に、右側から大波が連続して打ち込み、バランスを崩して転覆したというものです。では波説は、本当に蓋然性が高いのか。
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