好調に見える米国経済は「まだ病み上がり状態」だ バイデン大統領「キーウ電撃訪問」の舞台裏

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さて、筆者が18日に帰国した直後に、衝撃的なニュースが入ってきた。あのジョー・バイデン大統領が、キーウを訪問してウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談したのである。前の週に現地に居た者としては、「ああっ、あれはそういうことだったのか」、と膝を叩いた次第である。

「プレジデンツデー」をキーウで迎えたバイデン大統領

基本的なことで恐縮だが、アメリカでは2月の第3月曜日は「プレジデンツデー」(Presidents’ Day=大統領の日=複数形である点にご注意)という祝日である。初代ジョージ・ワシントン大統領は2月22日、16代エイブラハム・リンカーン大統領は2月12日、いずれも2月生まれであったことから、これら偉大な大統領の功績をたたえる日となっている。

いずこも同じだが、商売の世界で2月は鬼門である。そこで物販業界は、2月14日のバレンタインデーやこのプレジデンツデーに力を入れる。筆者が向こうで過ごした1週間も、あちこちでこの「プレジデンツデー・セール」の広告を見かけたものである。

この祝日の前後は、連邦議会も休会となる。この間隙を縫って、ホワイトハウスは「バイデン大統領はポーランドを訪問する」と公表していた。2月20日月曜夜にホワイトハウスを発つとの公式日程で、2月24日がウクライナ戦争の開戦から1年であるから、現地に近い場所で記念演説をするのであろうと目されていた。

ところがその前日の日曜日、午前4時15分にバイデン大統領は極秘にワシントンを飛び立っていた。ポーランドに到着したのは現地時間の午後8時半。そこからウクライナ国境に近いプシェミシル駅に移動し、キーウまでは10時間の寝台列車の旅であった。上空をミサイルやドローンが飛び交うウクライナには、陸路で入る以外に手がないのである。

同行した政府高官は、ジェイク・サリバン国家安全保障担当補佐官とジェニファー・デイロン副首席補佐官の2人だけ。後はカメラマンと医師、警護官などごく少数。同行記者団も2人だけいたそうだが、よくまあ秘密が守られたものである。

それ以上に驚くのは、御年80歳のバイデン氏のタフネスぶりである。かつて上院議員時代には、片道1時間半の鉄道通勤でワシントンに通っていた「鉄オタ」といえど、よくまあこんなハードな行程を決断したものだ。ちなみに「ワルシャワでゼレンスキーと落ち合う」選択肢もあっただろうが、その場合の政治的効果は格段に小さくなっていたはずである。

かくして見事に『点と線』がつながった。2月20日の「大統領の日」の朝を、バイデン氏はキーウで迎えたのである。ゼレンスキー大統領と会談を行い、空襲警報が鳴り響く中で市内を視察し、写真を撮り、キーウのアメリカ大使館を訪れて職員たちを激励した。滞在時間は5時間ほどであったが、「アメリカはウクライナを見捨てない」という強力なメッセージを現地に残したことになる。

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