英国の展望車「デボン・ベル」、波乱万丈の1世紀 誕生時は「救急車」、米国巡業後に帰国できず
側面や後部の大半がガラス張りの大きな窓による”パノラマビュー”を提供し、雄大な景色が見られるプルマン展望車は、戦争で深く心が傷ついた人々の心を癒やし、大きな反響を得た。展望車には27人の乗客が座れるが、
デボン・ベル号は、ロンドン・ウォータールー駅とデボン州のプリマスを結ぶ優等列車として運行。300km強を1日1往復、所要時間5時間20分ほどで両都市を結んでいた。プリマスは海に面した軍港のある都市で、函館の五稜郭と似た星型要塞「ロイヤル城塞」があるほか、アメリカ大陸へ渡ったピューリタン(清教徒)が出航した街としても知られる。ロンドンからの沿線には、線路ギリギリまで海岸線が迫るスポットがあり、展望車に乗った人々はさぞかし楽しい汽車旅が満喫できただろうと予想する。
しかし、デボン・ベル号の運転期間は短く、運行開始から7年後の1954年には廃止になってしまった。展望車はその後、スコットランドの路線で活躍した。
「アメリカ巡業」から帰国できず
何度も改造を経て花形車両となったものの、肝心の列車が廃止されてしまうというここまでの経緯でも十分に波乱万丈だが、さらに数奇な運命が待ち受けていた。好評を博していたデボン・ベル14号展望車は1969年、名機「フライング・スコッツマン」号の展示走行に随伴して大西洋を渡り、アメリカ各地を走ることになったのだ。
同年9月にボストンに上陸後、フライング・スコッツマンは南はヒューストンから北はカナダのモントリオール、西はサンフランシスコまで大陸を横断し、イギリスのSL列車の素晴らしさを人々に披露した。
そこまではよかったのだが、ここから展望車14号にとって不幸な出来事が起こる。SLのフライング・スコッツマンはアメリカでの展示走行が終わるとすぐイギリスに「帰国」したが、資金が枯渇したことで、展望車14号は本国に輸送できなくなってしまったのだ。
イギリスに戻れなくなった展望車14号は、そのままアメリカに残留。サンフランシスコのオフィスビルのデコレーションとして使われることになった。ただ、幸か不幸か、そのビルはほどなくして無人となり、展望車はまったく不要になってしまった。
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