図工や美術の教科に限った話ではない、「アート思考」が生きる力を育む訳 「表現の花」より「探究の根」を重視した評価を

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「鑑賞し始めのときに書いたことは、思い込みだったり表面的なことだったりします。でも時間を使って数多くのことを書き出すと見方が変わってきたり、とくに後半のほうに『自分らしさ』が表れてきたりします」

つまりこの作業では、自分のものの見方を、時間差によって自ら疑うことになるのだ。

そして鑑賞によって芽生えた「想い」を、今度は廃材を用いた工作で表現する。廃材を用いるのは、見栄えを追求することが目的ではないからだ。また、必ずしも望みどおりの材料があるとは限らないので、「ではどうするか」と表現に工夫や広がりが出るという。

三島青年会議所が主催し、ヴァンジ彫刻庭園美術館にて行われたワークショップの様子。嗅覚や触覚もフル動員して鑑賞し、表現する
(写真:末永幸歩氏提供)

「アート作品を鑑賞する際の大前提として、参加者には『作品とのやり取り』を重視するよう伝えます。アーティストが考えたり手を動かしたりして作品を作っているのと同様に、鑑賞者も作品を見たり想像したりすることで一緒に作品を作っているのです。そこに正解はないし、アーティストとまったく違うことを考えてもいい。積極的に誤読をしていい、どんどん勝手に解釈していいのだと話しています」

間違っているという批判も、「花」の出来による値踏みもここではされない。末永氏のこうした言葉によって、参加者は伸び伸びと作品を味わい、表現することができる。多様性を認め合うことを実感し、それぞれの価値観を変化させる貴重な機会にもなるだろう。

「単に私が話をするだけの講演会では、受け手は知識をインストールされるのみで終わってしまいます。体験が伴うワークショップだからこそ、参加者それぞれのものの見方、疑う力がより高められるのだと思います」

ワークショップの参加者から「当たり前だと思っていたものの面白さや不思議さに気づいた」という感想も寄せられ、末永氏は手応えを感じている。だがこうしたチャンスは、特別なイベントだけにあるのではない。日々子どもたちと共にさまざまな体験をし、しかも一定期間を継続的に指導することができるのは、現場の教員の大きなアドバンテージだと末永氏は語った。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:つむぎ / PIXTA)

東洋経済education × ICT編集部

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