「自ら課題を立てられる子」を育むSTEAM教育

国の将来、あるいは国力の盛衰は、その国が生み出すテクノロジーやイノベーションの成果にかかっているといっても過言ではない。その言葉どおり、日本は戦後、科学技術立国として大きな成長を遂げた。しかし、今やそんな日本の姿は失われつつある。もう一度科学技術立国として復権するにはどうすればいいのか。こうした危機感から注目されているのが、理数系人材の育成=STEAM教育の拡充による人材育成だ。しかし、一般社団法人STEAM JAPAN代表理事の井上祐巳梨さんは、もう1つ別の視点を示す。

井上 祐巳梨(いのうえ・ゆみり)
Barbara Pool 代表取締役。一般社団法人STEAM JAPAN 代表理事。東京・豊島区出身。日本大学芸術学部卒業。学生時代から地域の町おこしイベントや、2000人超を動員する学生最大級アートイベントの立ち上げを代表として行う。2013年オーストラリア政府のキャンペーン「The Best Job in the World(世界最高の仕事)」では、世界60万人から日本人唯一の25名の中に選出。同年6月に株式会社Barbara Pool 設立、代表取締役に就任。企業・地域の課題を解決するクリエーティブ事業を主体に、多数のプロジェクトに携わる。19年、STEAM事業部を立ち上げ、Webメディア「STEAM JAPAN」の編集長に就任。同時期に、同社は経済産業省「『未来の教室』実証事業」に採択。20年文部科学省ICT活用教育アドバイザー事務局。同年、一般社団法人STEAM JAPAN設立、代表理事に就任

「日本の国力を担う人材育成という観点から見れば、これからは理数系人材の育成に限らず、都市部はもちろん、地方の子どもたちが、自分の住む地域の課題を自ら解決できるようにならなければ厳しい局面を迎えることになるのではないかと考えています。STEAM教育はそうした課題を解決するための手段の1つになるでしょう。ただ、日本ではSTEAM教育の情報そのものが、全国に行き渡っているとはいえないのが現状です。都市部では公教育に限らず、多くの教育手段や情報に触れるのが簡単なため、STEAM教育の情報も取り入れやすい一方で、地方では、公教育以外の教育手段に触れることが難しい。そこで地方の公教育関係者や保護者の方も情報を得られるようにサイトを立ち上げ、STEAM教育に関する発信を始めることになったのです」

井上さんは、STEAM教育に携わる以前から、クリエーティブ会社Barbara Poolの代表を務めている。そこで地域創生事業として人材育成プログラムに取り組む中で、地域の課題に注目、2019年にSTEAM事業部を立ち上げ、Webメディアとして「STEAM JAPAN」をスタートした。その後始めたSTEAM教育研修が経済産業省の「未来の教室」実証事業に採択されることになり、その教育研修を社会に実装させることを目的にSTEAM JAPANを設立した経緯がある。現在では、eラーニング研修を中心に、2000名以上の小中高の先生たちがSTEAM教育研修に参加しているそうだ。こうした活動を続ける中で、井上さんは日本のSTEAM教育の現状をどうとらえてきたのだろうか。

「手段が目的化されることを懸念しています。公教育でも新たに情報科目が導入されましたが、現場では、受験科目の穴埋め問題のような扱いをしてしまうケースも少なくありません。STEAM教育もこうした扱われ方をされては意味がない。もっと、立体的に学びや概念をつくりだすものでなければならないのです。本質的に何が必要なのか。そうした視点からSTEAM教育を広げていく必要があると感じています」

「共創」の時代に、学校教育はどうあるべきか?

デジタル化によって日本社会が急激に変化していく中で、学校教育の現場も変化することは避けられない。そのためにも、当然ながら先生たちの意識変革を促していくことが欠かせない、と井上さんは語る。

「私も本業のビジネスを行う中で、規模にかかわらず、あらゆる企業で新たな発想や視点が求められていることを、強く実感しています。自社だけで新しい価値を生み出せないのであれば、大小問わず他社とつながり、共創しなければ生き残れない。そうした考えが当たり前のようになっています。企業だけでなく、教育の現場でも新たな変革が必要となっているのです」

そのためにSTEAM JAPANでは現在、教員研修のほか、公教育に広くSTEAM教育を浸透させていくべく、さまざまな取り組みを行っている。

その1つが「STEAMアンバサダー制度」だ。これは英国で実施されているSTEMアンバサダーの仕組みを取り入れたものだ。この仕組みでは、企業人、研究者、クリエイーター、アーティスト、地域の方などをSTEMアンバサダーとして認証し、彼らを学校の現場に派遣しSTEM教育の魅力を伝えていくことを目的としている。具体的には、STEM科目の実践的な授業のほか、ワークショップの企画・開催、クラブ活動のサポート、キャリア相談、ロボコンなどSTEMに関係する競技やイベントの審査員などSTEMの魅力を次世代に伝える役割を担っている。

今年2月には大分県教育委員会などと共同でSTEAM教育や宇宙科学技術を通して、次世代人材の育成を目指すオンラインイベント「宇宙と科学の高校生シンポジウム」を開催。県内の約150名の高校生が参加し、宇宙事業の技術者や専門家らによる「STEAM課題研究特別講座」をはじめとして、STEAM教育が体感できるワークショップが実施された。参加した生徒たちからも「社会につながる学びができた」「専門家の話を聞くことで探究心が芽生えた」との声が返ってきており、その中には専門家の話をきっかけに主体的に課題を見つけ、自ら解決策を探ろうと研究を始める生徒たちもいるという。

「アンバサダーになっていただく専門家の方々については、私たちからのアプローチだけでなく、WebメディアであるSTEAM JAPANを通して、ご連絡をいただくケースも増えています。自治体や学校教育の現場を始め、さまざまな場面で専門家の皆さんとコラボレーションできることが可能となっているのです」

また、2020年から「自ら課題を設定し、アイデアをカタチにして解決していく」中高生を表彰する取り組みとして「STEAM JAPAN AWARD」をスタートさせている。2年目の21年からは文部科学省が後援することになり、中高生を対象に応募数は100件以上に上った。昨年、ゴールド賞(最優秀賞に相当)に輝いたのは都立高3年生が考えた「FOODEMON」。今大きな社会課題とされている「フードロス問題」を題材に、ゲームを通して食材を捨てる過程を疑似体験しながら考えるきっかけをつくる作品で、人の心理に影響を与える「触覚学」を応用した、見て、触れて、遊べる解決策として高評価を得た。

ゴールド賞を受賞した「FOODEMON」。ゲームを通して食材を捨てる過程を体験。アナログなゲームを用いることで「視覚的」「触覚的」に「フードロス」という問題を考えることができる

「実は昨年ゴールド賞を獲得した学生は、その後、米ハーバード大学に進学しました。海外の大学入試においては学力の成績以上に、課外活動の評価が入試の合否を左右します。しかし、日本では海外の大学にアピールできるようなイベントが少ないのが現状です。STEAMは世界共通の教育概念であるため、STEAM JAPAN AWARDのようなイベントで、ゴールド賞を受賞したことは、海外の大学にアピールするよい機会になるのです。私たちも、STEAM JAPAN AWARDも日本のSTEAM教育における代表的なイベントとして海外から認知されるきっかけになったと考えています」

ほかにもSTEAM JAPANでは将来、先端科学技術分野で活躍できる女性の発掘・育成を目的に「OITA Girls 8 PROJECT」という取り組みを行なった。これは、「大分から未来を変えたい」と思う18歳以下の女子中学生8人程度を選出するプロジェクトだ。ほかにも、徳島市とはデザイン思考やデータ分析を基に、地域の魅力や課題を自分でまとめ、それを海外に英語で発信していくプログラム「TOKUSHIMA STEAM PROJECT」を企画するなど、地方との取り組みを多数行っている。

「OITA Girls 8 PROJECT」のキービジュアル(左上)「OITA Girls 8 PROJECT」メンバーが、それぞれ成し遂げたいことグループ内でプレゼンしている様子(右上)「TOKUSHIMA STEAM PROJECT」のキービジュアル(右下)「TOKUSHIMA STEAM PROJECT」オンライン発表会。英国、フィンランドの学生に、徳島の魅力を英語でプレゼンしている(左下)

「地方では、とくに人材育成について危機感を持っています。そうした自治体のトップの方は海外についての視野も広く、新たな取り組みにも積極的です。しかし、STEAM教育の国内での認知度の低さから、活動を始めるときには少なからず苦労もありました。加えて、新しいことをやるとなると保守的な考えの方々からの反発もあります。だからこそ、STEAM教育についても自治体で勉強会を開催するなどして丁寧に伝えていくことで、活動の道を開いていきた経緯があります。コロナ禍によるイベントの中止など、ほかにも厳しい局面もありましたが、オンラインを活用したことで、かえって活動を全国に拡大することができました」

井上さんは日本におけるSTEAM教育の拡大はこれからだという問題認識がある。欧米と比較すると日本はまだフェーズ1の状態だと指摘する。

「日本の生徒たちにとって、プログラミングの授業は始まったばかりですが、英国では、すでにコンピューターサイエンスという一段上の概念がカリキュラムの中に取り込まれています。実際に女子中学生が『サイバー攻撃を受けたとき、どのように対応すればいいのか』といった課題を解決する大会やイベントも開催されています。日本は先進国なのに、なぜ新たな学びが広がらないのか。そこは大きな問題だといえます。その現実を踏まえたうえで、まず日本では、STEAM教育をはじめとした世界の教育事情について知り、その変化に現場の先生方がいかに対応していくのかを考える必要性があります。「なぜ、こうした新たな教育が必要なのか」、ここは土台として丁寧に伝えていくべきです。そして、授業でどのようにSTEAM教育を取り入れて、それをどうフィードバックしていくのか。その全体的なサポートを、私たちはこれからも行っていきたいと考えています」

(文:國貞文隆、写真:すべてBarbara Pool提供)