「給食でアナフィラキシーショック」食物アレルギーの学校対応はどう変わった エピペン注射など教員の意識や除去食に地域差

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摂取したり接触したりした食物が原因となり、じんましんなどの皮膚疾患や、せきなどの呼吸器疾患といった症状が現れる、食物アレルギー。息子のアレルギーをきっかけに、学校現場でのアレルギー対応の改善に尽力してきたNPOアレルギー児を支える全国ネット「アラジーポット」代表の栗山真理子氏は「この数十年の間で教員の方々、医師の方々、行政の方々に非常に努力していただいた。私はとても感謝している」と語る。一方で、あいち小児保健医療総合センター センター長で免疫・アレルギーセンター長の伊藤浩明氏は「学校現場は一生懸命動いているのは事実。しかし、地域や自治体によって格差もある」と指摘する。学校の食物アレルギー対応はどのような変遷をたどっており、今後どう進化していくべきか。患者家族の視点、医療者の視点からそれぞれひもといた。

40年で「学校現場は多大な尽力」、過度な負担はかえって危険に

栗山真理子(くりやま・まりこ)
NPOアレルギー児を支える全国ネット「アラジーポット」代表、一般社団法人日本患者会情報センター代表理事、国立成育医療研究センター共同研究員、東北大学東北メディカル・メガバンク機構非常勤講師
2004年以来、厚生労働省、文部科学省などアレルギー関連委員会他の委員等を歴任。ぜん息、食物アレルギー、アトピー性皮膚炎のあった2人の子育てに奮闘。 園や学校でのアレルギー理解に役立つマニュアル『入園・入学マニュアル プリンくんと学ぼう語ろう アレルギー』の発行責任者を務める(NPO法人ピアサポートF.A.cafe 発行)
(写真は栗山氏提供)

食物アレルギーは今でこそ珍しくはないが、かつては知名度が低く、学校現場でも正しく理解されていない時代が長く続いていた。アレルギーのある児童の家族を支援してきたアラジーポットの創設者、栗山真理子氏はこう振り返る。

「約40年前、食物アレルギーはマイナーな位置づけで、医師によって方針が異なりました。私の息子が食物アレルギーの頃は、原因となる食べ物を徹底して食べさせない方針だったので、学校に『これは残させてほしい』とお願いしていました。ただ、当時は『栄養源になるものが何で食べられないの?』と言われる時代。学校給食も『完食すべし』という価値観が定着していたので、好き嫌いで残すわけではないことを理解してもらうまでが大変でした」

栗山氏は、「息子が小学生になる頃までに、自分が食べられるもの、食べられないものを徹底的に教え込んだ」と言う。しかし、不安を払拭するのは難しく、登校後はいつ呼び出しを受けてもいいように外出しない生活を送ったそうだ。

当時、食物アレルギーの学校での対応方針は担任の教員に一任されていた。そのため、栗山氏をはじめ親は学年が変わるたびに、孤軍奮闘で教員に説明しなければならなかった。

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