孫23頭!30歳になったパンダ「永明」のすごい過去 日本パンダ史50年で初めて30歳を迎えた
飼育スタッフの品川友花さんは「永明は長い鼻、面長な顔立ち、うちわのような大きな耳、すらっとした長い手足が特徴です。16頭の子どもたちの中には、お父さんの特徴を受け継いだ子どももいます」と説明。「これまで大きな病気もせず、元気でいてくれることに感謝しています。永明が世界最高齢のパンダになるのが私の夢です」と語った。
1994年に北京から成都へ移動して日本へ
永明は1992年9月14日に中国の北京動物園で生まれ、1994年5月に繁殖研究のため、四川省にある成都ジャイアントパンダ繁育研究基地へ移された。
同年9月3日に、雌の蓉浜(ようひん、1997年死亡)と一緒に成都から上海へ行き、検疫などで3日間滞在。関西国際空港が9月4日に開港して2日後の9月6日、2頭は上海から飛行機で関空へ渡り、同日夜にアドベンチャーワールドへやって来た。永明が1歳11カ月のときだ。
副園長の中尾建子さんは、1994年に永明と蓉浜を中国へ迎えに行き、一緒の飛行機で日本に戻った。パンダが日本へ行くには、輸送用の檻に入る必要があるが、永明はすんなり入った。
獣医師でもある中尾さんは「私はいろいろな動物の輸送に関わりましたが、こんなに簡単に餌につられて檻に入っていく動物はいないなと思いました。普通に通路を通るように檻に入り、扉を閉められても慌てることなく。警戒心のないパンダだなと思いました」と懐かしそうに目を細める。
2頭は無事、アドベンチャーワールドに到着した。その後、永明はパンダ飼育に大きな貢献をすることになる。エサの改良だ。
永明は、アドベンチャーワールドに来てから、お腹を壊すことが増えた。当時のエサは、リンゴほどの大きさの巨大な団子やミルク、リンゴ、竹。竹の量はわずか2kgほど。竹を与えても、団子でお腹がいっぱいになって食べないのだ。こうした高カロリーのメニューは、アドベンチャーワールドに限らず、当時は中国を含め各国の施設でも同様だった。
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