3観点「学びに向かう力、人間性等」の評価に限らず「知識観」のアップデートを 丸暗記と、「概念」として習得した知識の違い
教員も「自分らしさ」とコミュニケーションを重視しよう
3観点に限らず、評価には信頼性とそのための妥当性が不可欠だ。規準を明確にすべく言語化が図られていても、それだけでは妥当性は担保しきれない。例えば制作物の評価規準に「表現力」という項目があるとする。だがこの言葉の理解に教員の個人差があると評価がぶれる。単にグラフィカルであることを表現力と捉える教員は、絵や図が多い作品に高評価をつけるだろう。内容の豊かさを見て判断する教員とは、同じ作品を見ても評価に差が生まれるかもしれない。
こうしたぶれを解消するためにできることは2つ。1つは、教員同士で話し合うことだと佐藤氏は言う。これは評価の一貫性を図る「グループ・モデレーション」だ。
「ベテラン教員の方は、やはり評価に安定感があります。ぜひ複数の教員で評価規準の解釈や違いについて討議してください。一方で若い教員の方が得意なこともあるので、互いに得るものが多いでしょう」
子どもたちに協働を教える立場として、教員間でも力を合わせ、その背中を見せるのが理想的だろう。
さらに2つ目の方法として、佐藤氏は「子どもと触れ合うこと」を挙げた。
「教員がいかに子どもの生活世界に教員が入っていけるかが大切です。そうしなければ、なぜ彼らがこう感じるのか、なぜこの言葉を使うのかなどといったことはわかりません。子どもを理解しなければ正しく評価することもできない。子どもと触れ合うとは、子どもと何かをシェアすることです。鬼滅もワンピースもポケモンも知らなければシェアできるものがなく、それでは子どもの世界に入っていけないと思います」
どちらも突き詰めれば、コミュニケーションの一語に尽きることだ。だが激務に押され、その時間がない、というのが現場の声だろう。教員のデスクワークの多さが業務を圧迫していることに憂慮しつつ、佐藤氏は教員も完璧でなくていいと言う。本来、学びとは快楽であり、子どもの学ぶ姿は美しいものだと語る。学ぶ喜びを涵養し、主体的に問う子どもを育てるには、教員自身が生き生きと個性的であってほしいと考えている。
「とくに若い教員の方には、最初からあまりにも難しい指導を求めないほうがいいと思います。まずはシンプルに、子どもにとって意味のある45分になることを目指せばいい。また、例えば英語指導に限界を感じるなら、地域で英語ができる外部の人を探したり、一人で頑張りすぎずに教員同士で解決策を探ったりしてもいいでしょう。教員が他者と協働しながら自分らしく働く姿は、子どもたちの個性を豊かにすることにもつながるはず。教員の方には、デスクワークよりも、こうしたフットワーク、チームワーク、ネットワークを大切にして、子どもを丁寧に見ながら、語り合ってほしいものです」
(文:鈴木絢子、注釈のない写真:Fast&Slow/PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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