子ども幸福度1位・オランダでは、「4歳からの性教育」をどう教えているのか? 性教育=性行為ではない、まず整える安全な環境
まず前提として、性教育とは学校と家庭の“どちらか一方”で行われるものではないという考え方を持つことが必要です。オランダでは、性教育について学校で学んだ際に「家庭で話し合うこと」が課題として出されることもあり、性教育は、学校でも家庭でもオープンに学ぶものという考え方があります。
しかし仮に今、日本でオランダで行われているような性教育が導入されたとして、突発的な子どもの性に対する疑問や問いかけに対し、いったいどれくらいの教師や保護者がそれに答えられるのかと考えると、やや疑問を感じます。「学校教育で性教育が導入されました!」と言われれば、大人はすぐさま、性についてオープンに自らの考えや意見、あり方などを話し始めるのでしょうか? それはオランダの先生が言ったように「性教育週間だから性の話をしましょう」と子どもたちに言っても、すぐに話ができないのと同じで、難しいのではないかと思います。

(写真:三島氏提供)
では、日本で性教育が普及していくためにどうすればいいのか。私は明確な答えを持っているわけではありませんが、学校現場が性教育を「教育プログラム」として捉えるのではなく、日々の教育の中にあるものだと、社会に生きる大人が捉え直すことが重要なのではないかと思います。というのも、性教育が普及しているオランダでは、先生や保護者が、性教育を「教育プログラム」として捉えているのではなく、日々の教育活動や家庭の中に自然と存在しているもの、それに対して社会に生きる大人がどのような姿勢を持ち、子どもたちの疑問や問いかけに、どう対応しているかが重要だと考えている人が多いように感じるからです。
例えば、生物学的には男の子とされる児童が、毎日ピンクの服を着たりスカートをはきたがること、クラスの誰かが週末に街の真ん中で女性同士がキスしているのを見たことなど、子どもがとる自然な行動や、それに対する疑問はすべて「性教育週間」にだけ話し合われるべきことではないというのがオランダの先生や、大人たちの基本的な考え方です。
そして、突発的に出てくる子どもたちの疑問に対して「何が話せるか」は、性教育という「教育プログラム」の問題ではなく、質問の受け手が普段から性や、性教育に対して何を考えているかによるでしょう。これは教育者だけではなく、社会に生きるすべての大人たちに言えることだと感じます。子どもから出てくる性の疑問に対して、私たち大人が「何と答えていいかわからない」のは、時に社会問題にもなりうる「性」の問題を、自分事として捉えきれていない、改めて考えられていないからだともいえるのかもしれません。
性教育は「安心安全な環境」からしか生まれない
6歳の娘が「お父さんとお母さんってセックスしたの?」と純粋無垢な表情で夫に聞いた時、彼はまったくうろたえることなく「うん、したよ」と答えたそうです。その質問をする前に、娘は、私たちと一緒に図書館で借りた性に関する本を読んでいました。当初、「結婚すれば子どもができる」と思っていた娘は、本を読むことで「セックスという行為をすると子どもができるらしい」という見解にたどり着き、それが実際にそうなのかを夫に確かめたのでした。
夫は、改めて娘に「セックスをするとどんなことが起こりうるか」「妊娠のリスクや性病について」そして、「何よりもセックスとは愛し合う人間が行う行為であること」を伝えました。私は娘とそのような話ができる夫の考え方や姿勢を心から尊敬しています。何より、娘が性に関する質問をする相手が「お母さん(私)でなくてもいい、お父さんでもいい」と思えたことは私たち家族にとって、とても意味深いことなのではないかと思いました。

(写真:三島氏提供)
オランダの先生たちは、悪ふざけではない性に関しての質問や問いかけは安心安全な環境からしか生まれないと言います。そして、その安心安全な環境は、一朝一夕で出来上がるものではありません。だとすれば、私たち大人にできることは、性の話に限らず「何でも話せる」と子どもが思える保護者や大人でいること、そういった環境を日ごろからつくることではないでしょうか。そして前提として、大人が性に関する知識をつけておくこと、アップデートし続けておくこと、自らが性についての意見を持っておくことも重要です。