──民俗学者と憲法という取り合わせが意外でした。
民俗学は、歴史に取りこぼされた日本人の思考様式や心のありようをたどり、それを基に日本人の将来を考えます。その一分野である民衆史と一般の歴史学との違いは、時代区分をしないこと。江戸が明治になって社会が一変した、とは考えません。1人の人間が時代をまたぐとき、蓄積された行動様式を持続しながら周囲の変化に対応できたりできなかったりする。
そうした観点で私擬憲法を見ると、幕末維新を生きた人々の「こころ」と「からだ」に裏打ちされた夢や希望を映す民俗文化と捉えられる。そのほとんどは存在すら忘れられてしまったけれど、こうした「憲法」を再検討することで、なぜわれわれは先人たちのような積極的な働きかけを憲法にできないのかを考えたいと思いました。
私擬憲法に映し出された時代
──最初の私擬憲法は、明治7年1月の板垣退助らによる民撰議院設立建白書からわずか9カ月後。
起草者の宇加地(うかじ)新八は米沢藩の中級武士だった人で、維新後に攻玉社や慶応義塾で学びましたが、そういう経歴の元武士は珍しい存在ではありません。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
登録は簡単3ステップ
東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
おすすめ情報をメルマガでお届け