天皇リコールに天皇親政、タブーなき私擬憲法 『忘れられた日本憲法』民俗学者・畑中章宏氏に聞く

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民俗学者の畑中章宏氏
畑中章宏(はたなか・あきひろ)/民俗学者。1962年生まれ。民間信仰、災害伝承から先端技術や流行現象まで幅広いテーマに取り組む。『柳田国男と今和次郎』『災害と妖怪』『21世紀の民俗学』『天災と日本人』『死者の民主主義』『五輪と万博』『廃仏毀釈』など著書多数。(撮影:今井康一)
大日本帝国憲法(明治憲法)は、明治22(1889)年の発布までに約90の憲法草案(私擬憲法)が政府に提案された。ほとんどの起草者は市井の人々で、内容も驚くほど多彩だ。それが、現憲法制定時の私擬憲法は約20と激減、そして改憲が現実的になった今、論議は第9条限定のちまちましたものになっている。
忘れられた日本憲法——私擬憲法から見る幕末明治
『忘れられた日本憲法——私擬憲法から見る幕末明治』(畑中章宏 著/亜紀書房/1980円/187ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

──民俗学者と憲法という取り合わせが意外でした。

民俗学は、歴史に取りこぼされた日本人の思考様式や心のありようをたどり、それを基に日本人の将来を考えます。その一分野である民衆史と一般の歴史学との違いは、時代区分をしないこと。江戸が明治になって社会が一変した、とは考えません。1人の人間が時代をまたぐとき、蓄積された行動様式を持続しながら周囲の変化に対応できたりできなかったりする。

そうした観点で私擬憲法を見ると、幕末維新を生きた人々の「こころ」と「からだ」に裏打ちされた夢や希望を映す民俗文化と捉えられる。そのほとんどは存在すら忘れられてしまったけれど、こうした「憲法」を再検討することで、なぜわれわれは先人たちのような積極的な働きかけを憲法にできないのかを考えたいと思いました。

私擬憲法に映し出された時代

──最初の私擬憲法は、明治7年1月の板垣退助らによる民撰議院設立建白書からわずか9カ月後。

起草者の宇加地(うかじ)新八は米沢藩の中級武士だった人で、維新後に攻玉社や慶応義塾で学びましたが、そういう経歴の元武士は珍しい存在ではありません。

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