16歳の原節子が出演した「ナチス出資映画」の中身 ナチスが政権獲得からの「ナチ映画」の系譜とは
なお、ハイドリヒ暗殺事件を題材としたプロパガンダ作品にはこのほか『ヒットラーの狂人』(ダクラス・サーク 1943年米)もある。サークも、妻がユダヤ人だったため同じ1937年にアメリカに亡命している。ハリウッドの主要映画会社(ユニバーサル、パラマウント、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、MGM、コロンビア、RKO)の創業者は皆ユダヤ系である。
米国に多いユダヤ系の映画監督
ルビッチ、ラングを始めとして、米国にはユダヤ系の監督が多いが、中でも一番の大物はアカデミー監督賞12回(!)ノミネートの記録を持つウィリアム・ワイラー(1902年ドイツ生)だろう。
彼はナチス台頭以前の1920年18歳で渡米している。代表作『ベン・ハー』(1959年)は、ユダヤ人貴族の青年・ベン・ハーの波乱の半生を描くローマ史劇の超大作。アカデミー監督賞、チャールトン・ヘストンの主演男優賞など計11部門受賞している。
次なる大物は名脚本家でもあるビリー・ワイルダー(1906年現ポーランド生)。『アパートの鍵貸します』(1960年 アカデミー作品賞受賞)が代表作だ。彼は1933年2月27日、国会議事堂放火事件の夜にドイツからフランスへ亡命している。このワイルダーが師と仰いでいたのが『生きるべきか死ぬべきか』のルビッチであった。ルビッチを慕う後輩は多く、『生きるべきか死ぬべきか』はのちに同じくユダヤ人監督、メル・
ブルックス(1926年生)によりリメイクされている(『メル・ブルックスの大脱走』1983年)。
本項にあげた戦前の作品群は、動画配信サービスのラインナップには入っていないことが多いが、DVDで手軽に入手し観ることができる。
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