日本の教育の発展を妨げる「抵抗勢力」の謎!?公立教員のリアル×親の本音 【対談】親の疑問×公立小学校教員のリアル

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蓑手:例えば、相対評価が絶対評価に変わった背景にはそうした問題意識もあったと思います。それこそ相対評価では、幼稚園でカタカナを勉強しなかった子は全員Cになりかねません。その意味で成績の観点では配慮があるのですが、とはいえ子ども自身は周りとの差を感じてしまうでしょうね。もっと言うと、多くの教員は子どもたちに「頑張る力」を身に付けさせたいと思っています。劣等感を抱かないようにケアするのではなく、劣等感からくる悔しさをバネに発奮してほしいと願ってしまうんですね。

なぜ誰も「数学を学ぶ本当の訳」を教えてくれないのか

卓也:もちろん頑張ることも大事です。ただし、劣等感や優越感のためではなく、あくまで知的好奇心から勉強してほしいんですよね。先生方は授業で、教科を学ぶ意義や面白さも伝えているのでしょうか?

蓑手:ほとんど説明してないんじゃないですかね。実は、ここはタブーな部分というか……。子どもたちがよく言う、「別にこれ覚えなくても生きていけるし」はある意味真理なんですよ(笑)。知らなくても困らない単元は実際に山ほどあるし、教員自身も適切な答えを持っていない場合が多いので、議論自体を避ける空気は感じますね。仮に担当教科や当日の単元について語れても、「じゃあ、ほかの教科は?」と聞かれると臆してしまうことが多いと思います。そうすると二言目には「受験して進学するため」などと主客転倒な回答をしてしまう。

卓也:そもそも教職課程では、各教科や単元の意味を学ぶんでしたっけ……僕も教育学部を卒業していますが、僕の中にはどうもその記憶がないんですよね。

「記憶がない」という卓也だが、果たして実際は……?

蓑手:確かに、歴史を学ぶ意味くらいなら教わった気もしますが、各教科の単元までは踏み込まないですね。ましてや、「この単元は本当に必要か」など、現代における各教科の必要性やあり方を問う機会はほぼないです。個人的なことを言わせてもらうと、僕は今後、ヒロック初等部で既存の教科を枠組みどおりに扱うつもりはありません。というのも、はっきり言って、すべての教科が全員に必要だとはまったく思わないからです。例えば、数学は論理的思考力を鍛えるために教えるべきという意見もありますが、論理的思考力を身に付ける方法は数学以外にいくらでもあります

とはいえ、公立小学校の教員が生徒に「数学はやらなくてよい」などと言えば大変なことになります(笑)。親はやはり子どもに受験を勝ち抜いてほしいでしょうから、「余計なことを言うな」とクレームが来るでしょうね。いわばパンドラの箱のような難題です。

卓也:親としては、受験のために「学校はとにかく子どもの成績を上げてくれ」という思いもありますよね。ただ、そうした親の希望と子どもの意思の間にはギャップがあるかもしれない。もちろん、偏差値の高い学校に受かりたくて自ら勉強をする子もいますが、そうじゃない子も結構いると思うんですよね。そういう子たちは、授業を受ける意義を見いだせないんじゃないかな。僕も、どうせなら確定申告のやり方なんかを教えてほしかったです(笑)。

蓑手:例えば、今ならウクライナ情勢は絶対に児童も学ぶべきです。これらを知る時間さえないというなら、学校として本末転倒でしょう。ただ正直、教員自ら授業をアレンジする余裕はどこにもないというのも事実。年間の授業時間は国で定められた内容で埋め尽くされていますし、そもそも一教員にはそのカリキュラムを変更する裁量権がありません。さらに、規定された内容を教えずに児童が不利益を被った場合、その責任を誰が取れるのかという問題もあります。こうした状況では、教員のやる気や主体性がそがれるのも当然な気さえしますね。

卓也:いやあ……想像以上に複雑だな……。蓑手先生が公立小学校を離れた理由もこのあたりですか?

蓑手:僕自身は、公立小学校での14年間はすごく楽しかったと思っています。先ほど、一教員には授業をアレンジする裁量権がないと言いましたが、実は、僕は自分の授業で扱う内容を可能な範囲で調整していました。ただ、これができたのは長年かけて校長や保護者、地域の方と信頼関係を築いたからこそ。その努力が異動するたび水の泡になるのでは、あまりに非効率的です。

卓也:信頼関係を築く過程で1度でもすれ違いがあれば、それ以上は動けなくなるリスクもありますもんね。

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