井上ひさし氏は、語順がかなり自由であるために日本語には独自のあいまいさが出てくることに注目する。〈大江健三郎さんがノーベル賞を受賞した時の講演は「あいまいな日本の私」という題でした。「あいまい」は「日本」にかかるのか「私」にかかるのかわかりません。そこを、大江さんはねらったわけですね。〉(井上ひさし『日本語教室』新潮新書、2011年、175~176ページ)。
大江健三郎氏は、主要作である『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』を読めばわかるが、語彙が豊富で、言葉遊びを楽しむ。川端康成氏がノーベル賞受賞講演で「美しい日本の私──その序説」というタイトルを掲げて話をした。大江氏はそのパロディで「あいまいな日本の私」というタイトルにしたのだと思う。川端氏に「あなたの言いたいのは、日本にいる美しい私ということなのでしょう」という強烈な皮肉だ。もっともこういう言葉遊びを、新聞のような論理性を重視する文で用いてはいけない。
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