本業消失の危機に直面していた富士フイルムの改革を指揮した古森重隆会長兼CEO(最高経営責任者)はそのとき、何を考えていたのか。企業戦略が専門の楠木建・一橋大学大学院教授が迫った。
楠木 富士フイルムの企業変革は、ビジネススクールの教材として「新しい古典」です。古森会長は当時の危機感を「トヨタから車がなくなる」「新日鉄から鉄がなくなる」ことと同じだったと例えていますが、写真フィルムは自動車や鉄よりもはるかに高収益事業で、社長就任時の2000年は需要がピークでした。ここからの企業変革は、ある意味ではトヨタや新日鉄を変えるよりも難しい面があったと思います。
古森 経営者にとって最も大事なのは、会社を生き延びさせることです。私は富士フイルムを一流企業として存続させなければならないと考えてきたんです。写真フィルムという、高度な技術力が必要であるがために参入が非常に難しい分野で優良企業になりましたが、その絶対的な存在の写真フィルムを失うという事態に直面してしまった。しかし、これまでの技術の蓄積や社員の力、財務力などを考えれば、これからも一流企業として生き続けられるはずだと。そこから、何を捨てて何を選ぶかという判断をしていったんです。
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